碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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没後40年の向田邦子 継承されるテーマ「家族」

2021年04月04日 | 「北海道新聞」連載の放送時評

 

 

碓井広義の放送時評>

没後40年の向田邦子 

継承されるテーマ「家族」

 

3月まで放送されていた連続ドラマには、強い印象を残す「ホームドラマ」があった。その一つが、宮藤官九郎脚本「俺の家の話」(TBS-HBC)だ。

観山寿三郎(西田敏行)は、能楽の二十七世観山流宗家で人間国宝。脳梗塞で倒れて車いす生活となり、認知症も抱えてしまう。長男の寿一(長瀬智也)はプロレスラーだったが、父の介護をするために実家に戻ってきた。だが、介護する側も、される側も初めての体験だ。家族とはいえ戸惑いや遠慮もある。介護ヘルパー(戸田恵梨香)など他人との関係も難しい。

このドラマは、介護を日常的な「当たり前のこと」としてストーリーに取り込んでいた。しかも全編に笑いがあふれている。型破りなホームドラマであると同時に、秀逸な「介護ドラマ」でもあったのだ。

もう一つが、北川悦吏子脚本「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」(日本テレビ-STV)。「恋愛小説の女王」である作家、水無瀬碧(菅野美穂)と娘の空(浜辺美波)の物語だ。

かなり浮世離れした母と漫画オタクの娘は大の仲良しだが、やがて「実の父親」をめぐって騒動が起きる。血のつながりだけでは測れない家族の絆。コメディータッチでありながら、「そもそも家族って何だろう」と考えさせてくれる、異色のホームドラマだった。

家族の人間模様を描くドラマで思い浮かぶのが、「寺内貫太郎一家」(1974年)や「あ・うん」(80年)などで知られる脚本家、向田邦子だ。81年に取材旅行中の航空機事故で亡くなったが、今年は没後40年に当たる。

向田が書いたセリフには、家族についての深い洞察がちりばめられていた。たとえば「寺内貫太郎一家」では、父への不満をぶつける息子(西城秀樹)を母親(加藤治子)がたしなめる。「一軒のうちの中にはね、口に出していいことと、悪いことがあるの」と。また、息子(竹脇無我)と二人暮らしの父親(森繁久弥)が、元部下に向かって「男は長生きすると子不孝だぞ、覚えとけよ」と言っていたのは「だいこんの花」(70年)だ。

家族は期間限定。父、母、子として過ごすことで互いを熟知していたはずなのに、ふと相手の中に自分が知らない「他者」を感じて驚いたりする。向田はそんな瞬間を見逃さなかった。

昨年来のコロナ禍の中で、あらためて家族の存在に目を向けたと言う人も多い。向田邦子が精魂傾けた「家族」というテーマは、さまざまに形を変えながら現在も新しい。

(北海道新聞  2021.04.03)


田中邦衛さんが 『北の国から』に遺した、 忘れられない「名ゼリフ」たち

2021年04月04日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

田中邦衛さんが

『北の国から』に遺した、

忘れられない「名ゼリフ」たち

 

俳優・田中邦衛さんの訃報が伝えられました。

田中さんと聞いて、多くの人が思い浮かべたのは、ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)の主人公、黒板五郎ではないでしょうか。

奇しくも今年は、『北の国から』の放送開始から、ちょうど40年に当たります。

『北の国から』は1981年に始まり、2002年まで約20年にわたって放送されました。

田中邦衛の黒板五郎か、黒板五郎の田中邦衛か。それくらい両者は一体化していました。

田中さんが亡くなったのは事実だとしても、今も五郎さんとして、富良野のどこかを歩いているような気がします。

『北の国から』全作品から選んだ、田中邦衛さんの「名ゼリフ」

脚本家・倉本聰さんが書き続けた『北の国から』。

田中さんは、セリフに命を吹き込み、黒板五郎をまるで実在の人物のように演じ切ってくれたのです。

追悼の意味で、『北の国から』全作品の中から選んだ、田中邦衛さんが遺した忘れられない「名ゼリフ」を、振り返ってみます。

あの佇まいと笑顔、そしてあの声と口調を思い出しながら・・・。

<生きること>

「夜になったら眠るンです」(『北の国から』)

「人が信じようと信じまいと君が見たものは信じればいい」(同)

「体に関しては、義理なンか忘れろ」(同)

「もしもどうしても欲しいもンがあったら――自分で工夫してつくっていくンです。つくるのがどうしても面倒くさかったら、それはたいして欲しくないってことです」(同)

<親と子>

「(ギラリと見る)子どもがまだ食ってる途中でしょうが!!」(『北の国から‘84夏』)

「疲れたらいつでも帰ってこい。息がつまったらいつでも帰ってこい。くにへ帰ることは恥ずかしいことじゃない。お前が帰る部屋はずっとあけとく。布団もいつも使えるようにしとく」(『北の国から‘87初恋』)

「つまり――世間的にはよくないかもしれんが少なくともオレには――父さんに対しては――申し訳ないなンて思うことないから。何をしようとおれは味方だから」(『北の国から‘95秘密』)

<仕事とは>

「(ほがらかに)お金があったら苦労しませんよ。お金を使わずに何とかしてはじめて、男の仕事っていえるンじゃないですか」(『北の国から』)

「人にはそれぞれいろんな生き方がある。それぞれがそれぞれ一生けん命、生きるために必死に仕事をしている。人には上下の格なンてない。職業にも格なンてない。そういう考えは父さん許さん」(同)

「(明るく)人に喜んでもらえるってことは純、金じゃ買えない。うン。金じゃ買えない」(『北の国から‘98時代』)

<社会とは>

「じゅうぶん使えるのに新しいものが出ると――、流行におくれると捨ててしまうから」(『北の国から』)

「暖房やクーラーをがんがんつけた部屋でエネルギー問題偉い人論じてる。ククッ。あれ変だよね。そう思いません? ククッ。ナアンチャッテ」(『北の国から‘89帰郷』)

「おかしいっていやお前、まだ食えるもンを捨てるほうがよっぽどおかしいと――思いません?」(『北の国から‘95秘密』)

<再び、生きること>

「金があったら金で解決する。金がなかったら――智恵だけが頼りだ。智恵と――、自分の――、出せるパワーと」(『北の国から‘92旅立ち』)

「お前の汚れは石鹸で落ちる。けど石鹸で落ちない汚れってもンもある。人間少し長くやってりゃ、そういう汚れはどうしたってついてくる」(「北の国から‘95秘密」)

「悪口ってやつはな、いわれているほうがずっと楽なもンだ。いってる人間のほうが傷つく。被害者と加害者と比較したらな、被害者でいるほうがずっと気楽だ。加害者になったらしんどいもンだ。だから悪口はいわンほうがいい」(『北の国から‘98時代』)

「金なんか望むな。倖せだけを見ろ。ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度に充分毎年喰わしてくれる。自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ」(『北の国から2002遺言』)

 

――俳優・田中邦衛さん、2021年3月24日没。享年88。

合掌。