週刊誌も月刊誌も経験した元役員が語る回想記
木俣正剛『文春の流儀』
中央公論新社 1980円
最近、出版社についての書籍が立て続けに出ている。森功『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』は新潮社。魚住昭『出版と権力 講談社と野間家の一一〇年』は講談社。そして柳澤健の『2016年の週刊文春』が文藝春秋である。いずれも読み応えのあるノンフィクションだ。
本書の舞台もまた出版社だが、その趣きはかなり異なる。著者は文藝春秋の元役員だからだ。しかも『週刊文春』と『文藝春秋』の編集長を経験している。内部にいた当事者だからこそ語り得るエピソードが、この回想記の持ち味だ。
たとえば著者が『週刊文春』副編集長だった1997年に起きた、神戸の連続児童殺傷事件。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗った少年Aの両親の取材を志願したのは27歳の女性記者だった。両親の隠れ家を見つけ出し、取材依頼の手紙を手渡すためにレンタカーで張り込む。やがて面談にこぎつけるが取材は拒否された。
しかし彼女は「サイコパス=精神病気質」の観点から新たな少年像を提示し、両親の説得を続ける。『「少年A」この子を生んで』という手記の完成まで1年かかった。「口を開かせるのは人間力だけです」と著者。現在、この女性記者は『週刊朝日』で編集長を務めている。
一方、著者は自身の失敗についても明かしていく。『週刊文春』時代の「責任を免れない記事」として挙げるのは、美智子皇后バッシング事件(93年)、JR東日本の駅構内キオスクの『週刊文春』販売拒否事件(94年)などだ。それらの経緯と反省も踏まえ、文春の本来の姿は「常識の番人」であるべきだと断言する。
ライバルの『週刊新潮』が「見識」を示すメディアであるなら、文春ジャーナリズムは「常識」を語るメディアでありたいと言うのだ。
筆を向ける相手は弱者より強者。記者の正義感より読者の共感。そんな著者の信念が、次代の書き手にも継承されることを願いたい。