2022.08.03
photo by H.Usui
【独占インタビュー】
87歳・倉本 聰は、
なぜ60年以上も書き続けられるのか?
(2)
知識ではなく知恵によって生みだすことが「創る」こと
倉本はこれまでも今も、毎日必ず原稿用紙に向かっている。まさに1日3㎝の積み重ねによって、長い連続ドラマもできあがっていくのだ。倉本にとって、書くことは日々を生きることと同義かもしれない。
「書くというより、創るということをしてるんだろうね。『創作』という言葉があるじゃないですか。創と作、両方とも『つくる』でしょ? でも、意味が違うんですよ。『作』の『つくる』ってのはね、知識と金を使って、前例に倣(なら)って行うことです。 それに対して、『創』のほうの『つくる』は、前例がないものを、知識じゃなくて知恵によって生みだすことを指す。この『創』の仕事をしてるとね、楽しいわけですよ。でも、多くの人は『作』をやってる。特に都会のビジネスマンは、ほとんど『作』の仕事をさせられてるじゃないですか。だから、ストレスが溜まるんだと思う。 全部『創』の仕事にしちゃうとね、苦しくもなんともない。肉体的にはハードだけど、寝て起きりゃ直る。でも、『作』ばっかりだと精神的によくない。仕事は、意識して『創』のほうに寄せてくといいんです」 「作る」ではなく、「創る」こと。その姿勢はどんな職業の人間にも有効だし、自分なりの応用ができそうだ。 「創るということは生きることだけど、遊んでいないと創れない。同時に、創るということは狂うことだと思う。だから、『創るということは遊ぶということ』『創るということは狂うということ』『創るということは生きるということ』というのが僕の3大哲学ですね」
「遊ぶ」にしろ、「狂う」にしろ、倉本だからこそ到達した境地だと言える。「もう少し説明してもらえますか」とお願いしてみた。
「僕の言う『遊ぶ』ってのは、楽しむことだよね。自分が楽しむ。実はね、今、全11回の連続ドラマの新作を書いてるんですよ。放送の予定も、何もないシナリオです。それを、僕はすごく楽しんで書いている。シノプシス(粗筋)の段階で何度も書き直して、でもその都度、内容は螺旋状の進み方でよくなっていく。楽しんでいないと、そんなアウフヘーベン(高い次元への進化)は起きないですよ。 それから、『狂う』ってのは、熱中するってことでしょうね。今は書籍なんかで使うと、すぐ差別用語だって削られちゃうけど、意味合いとしては熱中するということ、もっと言えば熱狂することだと思う」
<「GOETHE(ゲーテ)」2022年8月号より>