日本占領の光と影
今年の夏もまた、何本もの戦争関連番組が放送された。その多くは日本の敗戦で終わっているが、歴史の流れが止まることはない。
8月21日放送のNHKスペシャル「映像の世紀バタフライエフェクト~GHQの6年8ヶ月 マッカーサーの野望と挫折~」は、戦後の占領期を舞台としていた。
昭和20年8月末、マッカーサーは厚木飛行場から横浜へと移動する。
イギリスの従軍記者が撮ったプライベートフィルムには、マッカーサーが見たものと同じ景色が記録されていた。
驚くのは沿道の日本兵たちが背を向けて立っていることだ。それは戦勝国の最高司令官を守ろうとする、敬意のジェスチャーだった。
マッカーサーは五大改革と呼ばれる政策を断行していく。婦人の解放、労働組合の奨励、教育の民主化、経済機構の民主化、そして圧政的諸制度の廃止だ。
政治犯や思想犯が釈放され、18年間刑務所にいた日本共産党の徳田球一も出所。
「連合国軍と人民大衆の同情と絶大なる援助のもと、解放された」と笑顔で語っている。歴史的人物の映像と肉声による臨場感はこの番組の真骨頂だ。
また日本国憲法が生まれる過程も興味深い。憲法改正調査会の試案を見たマッカーサーは、日本政府には民主主義的な憲法は作れないと判断し、民政局に草案作りを命じた。
その際、「マッカーサー・ノート」で基本原則を示している。一つは天皇が最上位にあること。もう一つが国の主権的権利としての戦争の廃止、つまり戦争放棄だ。憲法9条につながる考えが、すでに挙がっていた。
しかし、やがてアメリカは占領政策の転換へと動く。民主化・非軍事化に逆行する方針を打ち出す、いわゆる「逆コース」だ。
昭和25年、朝鮮戦争が勃発するとマッカーサーは国連軍司令官となり、治安の空白を埋めるために警察予備隊(後の自衛隊)の創設を指令。自ら手掛けた憲法9条があるにも関わらず、日本の再軍備を進めていく。
マッカーサーは何をもたらし、何を失わせたのか。当時の日本に与えた影響が現在も続いていることがよくわかった。
世界各国から収集した貴重なアーカイブス映像をもとに、歴史への新たな視点を提示するこの番組の意義もそこにある。
(しんぶん赤旗「波動」2023.09.07)