奈良県内を走るJR和歌山線の五条駅から奈良県内を南下して、和歌山県新宮市のJR紀勢本線新宮駅を結ぶ鉄道路線の建設が進められてましたが、全線開通する事なく未成の路線に終りました。(撮影:2011年4月)
この時の様子をまとめた フォトチャンネルも新規追加致しました。
沿線では吉野杉等の木材の産地で林業が盛んだった事から、鉄道での輸送を担おうとの動きがあり1937年(昭和12年)に建設に着手されました。その後、太平洋戦争による資材不足もあって工事は中断されましたが、1957年(昭和32年)に工事が再開され、1959年(昭和34年)に西吉野村付近まで路盤が完成しました。
完成したこの区間で鉄道の先行開業を目指した様ですが、駅の予定設置数が思ったより少なかった為に地元の反対にあいます。バスの運行ならば鉄道の駅よりも多くの停留所の設置が可能な為、1963年(昭和38年)からバス専用道路として運用が開始されました。
その後も建設が進められましたが輸入木材の増加に押されたり、時代は車社会になり鉄道建設のメリットが少なくなった事から、1982年(昭和57年)に工事自体は全面凍結されました。そして1987年(昭和62年)国鉄民営化により五新鉄道計画の廃止が決定され、五新線での鉄道が走行する姿を見ること無く現在に至ってます。
五条市内には鉄道が走る事が無くなった、コンクリート製のアーチ橋が残ってました。アーチ橋が途切れた間を通っているのが、奈良県内を南北に結んでいる主要幹線道路の国道24号線です。
アーチ橋の上部を見渡せるポイントです。立ち入り禁止だったので金網の外から狙いました。
盛り土の上に橋脚だけが残ってました。
南下して山間部へ入りました。本来ならば列車が走行するはずの、アーチ橋の上をバスが走行して行きます。
バス専用道路でのバス停です。
バス専用道路で五条市内中心部方面を見ました。
橋脚にはこの説明文のプレートが掲示されてました。
《追記》
五新線のバス専用道を走行しての運転は、2014年9月30日で廃止されました。
この時の様子をまとめた フォトチャンネルも新規追加致しました。
沿線では吉野杉等の木材の産地で林業が盛んだった事から、鉄道での輸送を担おうとの動きがあり1937年(昭和12年)に建設に着手されました。その後、太平洋戦争による資材不足もあって工事は中断されましたが、1957年(昭和32年)に工事が再開され、1959年(昭和34年)に西吉野村付近まで路盤が完成しました。
完成したこの区間で鉄道の先行開業を目指した様ですが、駅の予定設置数が思ったより少なかった為に地元の反対にあいます。バスの運行ならば鉄道の駅よりも多くの停留所の設置が可能な為、1963年(昭和38年)からバス専用道路として運用が開始されました。
その後も建設が進められましたが輸入木材の増加に押されたり、時代は車社会になり鉄道建設のメリットが少なくなった事から、1982年(昭和57年)に工事自体は全面凍結されました。そして1987年(昭和62年)国鉄民営化により五新鉄道計画の廃止が決定され、五新線での鉄道が走行する姿を見ること無く現在に至ってます。
五条市内には鉄道が走る事が無くなった、コンクリート製のアーチ橋が残ってました。アーチ橋が途切れた間を通っているのが、奈良県内を南北に結んでいる主要幹線道路の国道24号線です。
アーチ橋の上部を見渡せるポイントです。立ち入り禁止だったので金網の外から狙いました。
盛り土の上に橋脚だけが残ってました。
南下して山間部へ入りました。本来ならば列車が走行するはずの、アーチ橋の上をバスが走行して行きます。
バス専用道路でのバス停です。
バス専用道路で五条市内中心部方面を見ました。
橋脚にはこの説明文のプレートが掲示されてました。
《追記》
五新線のバス専用道を走行しての運転は、2014年9月30日で廃止されました。
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