写真の整理をしていたら、少し前に撮った写真で未だアップしてないのが出てきましたので、まとめて見ました。(撮影:2010年11月4日)
JR岩徳線は文字通り岩国と徳山間を結んでいます。この路線の開通当初は、“山陽本線”と名乗っており特急列車等も走る幹線でした。その後需要が増えて複線化を実施する事になった際、岩国駅を出て3つ目の駅、柱野駅(はしらのえき)と4つめの駅、欽明路駅(きんめいじえき)の間に有る『欽明路トンネル(3149m)』がネックとなりました。この路線が開通した1934年(昭和9年)当時としては、長大なトンネルだったようです。
結果的には岩国から瀬戸内海を海岸沿いに南下して、現在の山陽本線が走っている柳井駅を通るルートが複線化され、山陽本線となって現在に至ってます。このルートは1944年(昭和19年)に岩徳線に改称されました。
駅舎を通り抜けて、ホームに出ました。相対式2面2線のホームになっています。
跨線橋の上から岩国方面を見ました。
同じ所で反対側、徳山方面です。それにしても、1両の単行運転が多い現在の運行形態で、不自然に長いホームになってるのは、幹線時代の名残です。これなら10両近い編成の列車が、停車できそうですね。
反対側のホームへ下りて、徳山方向を見ました。
同じく岩国方面です。
この時は次の予定があって、この駅での列車の通過を撮る事は出来ませんでした。
JR岩徳線は文字通り岩国と徳山間を結んでいます。この路線の開通当初は、“山陽本線”と名乗っており特急列車等も走る幹線でした。その後需要が増えて複線化を実施する事になった際、岩国駅を出て3つ目の駅、柱野駅(はしらのえき)と4つめの駅、欽明路駅(きんめいじえき)の間に有る『欽明路トンネル(3149m)』がネックとなりました。この路線が開通した1934年(昭和9年)当時としては、長大なトンネルだったようです。
結果的には岩国から瀬戸内海を海岸沿いに南下して、現在の山陽本線が走っている柳井駅を通るルートが複線化され、山陽本線となって現在に至ってます。このルートは1944年(昭和19年)に岩徳線に改称されました。
駅舎を通り抜けて、ホームに出ました。相対式2面2線のホームになっています。
跨線橋の上から岩国方面を見ました。
同じ所で反対側、徳山方面です。それにしても、1両の単行運転が多い現在の運行形態で、不自然に長いホームになってるのは、幹線時代の名残です。これなら10両近い編成の列車が、停車できそうですね。
反対側のホームへ下りて、徳山方向を見ました。
同じく岩国方面です。
この時は次の予定があって、この駅での列車の通過を撮る事は出来ませんでした。
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