有田鉄道(ありだてつどう)は1916年(大正5年7月)に、開業しました。沿線での特産品のミカン(有田みかん)を湯浅港から積み出す事を目的にミカン畑の中を通って港まで敷設されましたがその後、旧国鉄紀勢本線が藤並駅(ふじなみえき)まで開通した事を受けて、有田鉄道も藤並駅から国鉄線に乗り入れて全国に特産品を配送される様になりました。
その為、湯浅の港近くの海岸駅から藤並駅迄の間は国鉄線と並走する事となった事から、戦時中での「不要不急路線」との事で1944年(昭和19年)にレールが撤去されて、そのまま復活する事なく廃止されました。そして廃止された線路の一部は紀勢本線の複線化の際に転用されてます。
その後、藤並駅から終点の金屋口駅(かなやぐちえき)迄の間で途中駅3ヶ所、路線距離5.6Kmで運行されてましたが、2002年(平成14年12月)末で全線廃止されました。
そして2010年(平成22年)には、この金屋口駅から約500m程の間でレールが残されて「有田川鉄道公園」が整備され、公園内や駅構内のホーム等には鉄道車両が保存されてました。
金屋口駅の正面です。
駅舎内では出札窓口も残されてました。
駅舎から外へ出て、ホームと並行している道路から見ました。
ホームには手書きの運賃表が残ってました。
この金屋口駅と藤並駅間を走行していた当時の名残です。
その為、湯浅の港近くの海岸駅から藤並駅迄の間は国鉄線と並走する事となった事から、戦時中での「不要不急路線」との事で1944年(昭和19年)にレールが撤去されて、そのまま復活する事なく廃止されました。そして廃止された線路の一部は紀勢本線の複線化の際に転用されてます。
その後、藤並駅から終点の金屋口駅(かなやぐちえき)迄の間で途中駅3ヶ所、路線距離5.6Kmで運行されてましたが、2002年(平成14年12月)末で全線廃止されました。
そして2010年(平成22年)には、この金屋口駅から約500m程の間でレールが残されて「有田川鉄道公園」が整備され、公園内や駅構内のホーム等には鉄道車両が保存されてました。
金屋口駅の正面です。
駅舎内では出札窓口も残されてました。
駅舎から外へ出て、ホームと並行している道路から見ました。
ホームには手書きの運賃表が残ってました。
この金屋口駅と藤並駅間を走行していた当時の名残です。
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