15日、寒気の合い間の良いお天気でありました。
道後温泉のあと、松山の町はスルー致しまして、内子の町まで足を伸ばしました。
伊予の内陸部にあって、木蝋の商いで栄えた町のようです。
落ち着いた静かな町並みを残しています。 ↓
昔ながらの箒を売っているお店です。↓
本芳我邸のお屋根。↓
古風な構えの床屋さんです。 ↓
思わず、ちょっと散髪でも、と入ってみたくなりますな。
和蝋燭のお店。↓
古い町屋の中には「ドイツ人の作るドイツ家庭料理」というレストランもあったりします。↓
下芳我邸は蕎麦屋さんになっていますよ。↓
そして町並みを北から南へ歩いていったそのはずれに、
よくテレビでも紹介されたりする内子座があります。 ↓
せっかくですから、入場さてもらって、昔ながらの舞台、客席、
そして回り舞台を動かす「奈落」も見学致しました。かつての町の財力を示すものですね。
ところで内子といえば、大江健三郎のふるさとであるはずなのですが、
そのことを顕彰したりする雰囲気が全くありません。
何といっても世間的にはノーベル文学賞の作家。ちょっと不思議でありますな。
松山だと、漱石に子規、さらに伊丹十三記念館もあったりします。
あちこちには「坂の上の雲」のポスターが散見されます。
私の勘違いかと思って、町のビジターセンターに入ってみると、
内子の町の全体地図が張り出されており、色んな名所が記されてありました。
その地図に「ここが大江健三郎の生家」と手書きのマジックで書き添えられていました。
何ともそっけないものであります。
内子に関連する書籍を集めた本棚がありましたが、
そこにも大江の著作物は一冊もありません。郷土の誉れではないのでしょうか。
かっての勤評闘争以来、愛媛は教育の保守王国。町の有力者、村ボスの意向は強いのでしょう。
かたや戦後民主主義を擁護する前線に立って、右翼の脅迫、恫喝を受け続けている大江健三郎。
内子の町は、どうやら全くもって大江に冷たいようですな。
町並みのはずれに「道の駅」がありまして、ここに車を停めて散策したのでありますが、
この「道の駅」がなかなか良い雰囲気でありました。
すぐそばを小田川が流れていて、きれいな川です。↓
橋の上から見下ろすと、投げ網で漁をしているおじさんがいました。↓
鳥さんも色々いそうな雰囲気でありました。
ダイサギ、イソシギ、キセキレイ、ビンズイを見かけました。
カワセミの鳴き声を耳にしたような気もしましたが、姿は捉えきれませんでしたね。
写真は橋の上から見かけたこのビンズイだけですけど。↓
日暮れ近くになってもう遅くなりそうでしたから、
そろそろ今回はこのあたりでと、帰途につきましたよ。