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「西遊記気分の北京近郊」北京の地下城

2010年04月15日 | 北京の旅
 地下帝国とも言うらしい。地下鉄2号線の崇文門下車。徒歩10分くらいの前門地区の故同の中にある。まるでちんけなゲームセンターの入り口みたいなサッシの吐き出し窓が入り口なので、見落とす可能性大。
 中にはなぜか迷彩服の若い男女が投げやりに座っているのだが、彼らがガイド。しかも国営企業の国家公務員だから、上から目線で入場料20元も払っているのに気分悪いったらありゃしない。
 ちょっとでもしゃべっていると、「私の話しをちゃんと聞け」とか、「あんたたち、しゃべるのなら、もう案内しない」だの言いたい放題。
 だって真面目腐ったその説明がおかしいったりゃありゃしない。何でも、1960年代末~70年代に、敵対していた旧ソ連との核戦争などに備えて掘った防空施設で、全長は30キロで、万里の長城から北京国際空港まで通じており、故宮からも秘密の抜け道があって30万人収容可能で、軍総指揮部のほか病院、映画館、図書館、ホールもあって…。って、全部奥行きの浅い同じ洞穴だよ。見学用に電灯が設置されてはいるが、どこからどう見ても、トーチカでしょう。
 見学はほんの一部で、故宮どころか、2軒先くらいのスペースしか歩けない。
 そして、集会所なのだろうか、突然開けた部屋ではなぜかお土産物や布団を売っている。居る? わざわざ地下で布団買う人。お土産物も、チャイナ服とか、シノアのバッグとか、シルクのスカーフとか小物。軍事施設なのに? しかも見てるとガイドに「早くしろ」と怒られる。何のための店なんだか。なんだかねぇ。
 核戦争に備えての施設の割には、大気入りっぱなしだし、掘りも浅いじゃないの? だったら、毎日通勤ラッシュで、大騒ぎなんだから、地下道にして歩かせればいいのに。あっ、歩きじゃなくちゃ無理ですよ。道狭いから。
 この近くには、昔の文人や清王朝が擁立され、閑職となった漢民族の軍人などが住んでいたとされている。都市開発に備え、大分虜触れていたが、こういった古い物を排除する動きは、正に日本の高度成長時代と同じ。もったいねー。北京からこんな風情のある景色が消えてしまうのだろうか?
 そうそう、故宮だって、修復と言うなのド派手なペンキ塗りやってたくらいだものね。なぜに、国宝にペンキ塗っちゃうんだか。
 地下帝国は写真撮影禁止でした。軍事施設だから。

「西遊記気分の北京近郊」鶏鳴驛のお昼

2010年04月15日 | 北京の旅
 ネギと炒り卵のうどん。薄味。赤大根の酢の物。野菜の卵炒め。赤大根の炒め物。こちらも素朴な家庭料理。どちらも白ご飯ではなく麺なのは、ご飯だと炊いて置かなくてはならないからだろう。
 また、こちらに肉料理が無いのは、それだけ貴重だと言う事。週に1度、日曜日にしか買えないため、余分はないのだろう。公共の交通機関が全くなにだから、本当の意味での城壁村。隔離された別世界なのだ。

「西遊記気分の北京近郊」鶏鳴驛城壁村2

2010年04月15日 | 北京の旅
 後編。
 さて、例によって例のようにお昼ー。通りで立ち話をしているあばちゃんが、「飯食わないか。おかず4品で5元だ」とアピール。その隣のおばちゃんも。まあ、どこでもいいので、最初のおばちゃんに着いて行く。
 その家は四合院を一棟残してあろは建て替えた風の家。多分一番いい建物だったのだろう、土間の左右に部屋があり、右手がキッチンで左がオンドルベッドのある生活感たっぷりの部屋。どう考えても主人の寝室であろうその部屋の片隅のテーブルで待つ。一族郎党全員が村に住んでいるのだから当然なのだが、ガキが多い。いったい何人居るんだ。外国人を珍しがってかガキが出入りするする。おまけに猫まで。もう猫落着かずに、連れて行かれてもすぐ戻って来る。名前はミイミイだって。国が違っても猫名前なんて似たようなもんだ。
 ここで驚き。この村、水道が無い。どこで汲んで来るのか、バケツにためた水で食器を手でくちくち洗ってた。
 もっと驚き。トイレがー。アジア生活11年の自分でも、出会った事無い、頭がクラクラするピンチ。なんと、庭の横に四畳半ほどの大地を掘って屋外トイレにしてるだけ。さすがに、ブロックで囲ってはあるが(出入りする所は開いている)、広がる大空の中でしゃがまなくてはならないのだ。まあ、周りが全部大気だから、狭い小汚いトイレよ襟は増しかとお思いでしょうが、目の前に広がるのは、余剰半分の堆積物だ。しかし、用を足さなくては仕方ない。苦渋の決断。後日、また違った意味で凄いトイレに出会うことになろうとは、この時点では予想だにしていなかったけどね。野菜の有機栽培をしてると聞いていたが、こういうことか。
 しかし、それよりももっと驚いた。この家、ご立派な現代建築の離れがあった。サッシ窓にタイル張りの床、大型テレビ、ソファ…。この村、水道が無いのに、衛星アンテナはあちこちにある。
 さて、午後はまた、何するでも無く砂埃の中を歩く。
 すると、朝方の市で、葉野菜を買ったおじーーちゃんがゆっくり牛歩戦術のような歩みを進めていた。朝買ったのに、歩くのが遅かったためか、葉野菜はすっかり萎れて、おじーーちゃんと一緒。
 中国歴史文化名村に指定されたのに、なぜに修復しないのか、こういsている間にも、ガンガン城壁は崩れているのに。服役囚とかをただ牢屋に閉じ込めておかないで、強制労働させちゃえばいいのに。なんて、考えながら、帰路に着く。
 ここの子どもにたちってマクドナルドなんか食べた事無いんだろーな。でも、これが人間本来の生活なんだろーな。とか、このくらいで人間って生きて行けるんだよな。とか感慨深い旅だった。
 観光地化すればもっと村は潤うだろうが、そのための施設(トイレとか)作んなきゃならないし、無理だろう。と思っていたら、今や、日本からのツアーもあるみたいです。
 良かった、手つかずの時に行っておいて。

 写真は、お昼を食べた家の子どもたちの一部。ミイミイばかりか犬までいやがった

「西遊記気分の北京近郊」鶏鳴驛城壁村1

2010年04月15日 | 北京の旅
 城壁村です。車なら、北京市内から八達嶺高速に乗り西へ約2時間、鶏鳴驛出口で高速を降りて数分走ると褐色の城壁が見えて来るので、比較的行きやすいのですが、自家用車なんで請託品を持たない身ではやはり公共の足を利用。やはり、地下鉄13号線で積水潭駅下車。東に徒歩10分の徳勝門東大街と言う道路の北側の長距離バスターミナルから河北省の平山県西柏坡まで行き、またまたお馴染みの白タク便。白タクしか足がありません。
 ここは文化大革命の聖地と言われる文革発祥の地でもあるらしいが、北京から行けば単なる田舎。そうそう、中国は、北京や上海の中心部以外は日本の昭和30年代みたいな感じです。
 嫌がるドライバーを説き伏せ(省を跨ぐので検閲が厳しく嫌らしい)、「検閲で聞かれたら、日本から遊びに来た友人ということにしよう」とドライバーに言われる。なにせ、白タクだから。
 バスで来た道をしばし逆走。高速からは田園風景が続くが、下りた途端に、赤茶けた褐色の世界、そう、まさに西遊記。
 この日は日曜日で、週に1度の市が立ち、城壁の外は大にぎわい。食べ物から衣類、雑貨なんでもござれの市に、中国在住の自分でさえ、異次元だと思えるくらいの風景。
 なにせ、この日に買って置かなくては、1週間ほかに何も買えないくらいに、隔離された場所なのだ。大にぎわいの市の左手には崩れかけた年代物の城壁。あちこち穴だらけで入りたい放題。
 市を通り抜けると、見えて来たのは城門。いわゆる中国の朱色のイメージではなく、正に土そのもの。風情があるなんてもんじゃない。西遊記ご一行様になった気分の古色蒼然とした旧宿場町。
 確か入場料が必要だとあったが、それらしき気配もなく、「どうせどこからでも侵入出来るのだからいいや」と入ると、まずはメイン通りに出る。メインたって、民家が並ぶだけで何もありゃしないよ。人民服の(珍しい)年寄りが日向ぼっこしてるすがたがチラホラあるだけ。
 床屋発見。これがまた、白衣を着たおっちゃんがオールディーズ。本当に昭和の世界。
 そうそう、ここはジャッキー・チェン始め有名俳優も映画の撮影で訪れたことがあるくらいの、天然の撮影所。西遊記の撮影もあったかもね。
 その空間に居るだけで、気分は高揚するが、たった一つ、観光場所がある。、1900年八カ国連合軍が北京に侵入した時に、西太后と光緒帝が西安に逃げる途中に宿泊したという四合院が残されているのだ。
 うろうろしていると、一端家へ飛び込んだおやじたちがそれぞれ、首にIDをぶら下げて再登場。どうやら、客が着た時だけ、皆さん、観光係りになるらしい。
 すぐさま「入場料を払え」と先ほど潜ったのと真向かいの城門に連れて行かれた。こちらが正門だってさ。
 では、さっそく西太后と光緒帝が宿泊した民家を拝見。人1人が通れるくらいの路地を入り、奥まった家の四合院の主審室が西太后が宿泊した部屋だった。
 多分、この村で一番のお金持ちかいい家だったのだろう。オンドルの寝床の壁はブルーのタイルが奇麗だった。のだが、オンドルの上には使い古した毛布。「そうか西太后の使った毛布か」。部屋中央の蛇口の横には、歯ブラシ。「そうか西太后の使った歯ブラシだ」。
 なんて事がある筈も無く、家族が普通に寝泊まりしてた。いいの? 重要文化財とかじゃないのか? 恐るべし中国。2005年には中国歴史文化名村に指定された。
 そもそも、この村は、命令や公文書が馬で運ばれた際、馬を取り替えた中継点。移動する役人や商人もここで足を休めた宿場であると同時に軍事的に重要なルート上にあったため、兵隊の駐屯する要塞でもあった。当時の烽火台の跡もある。
 現在は城壁内の住民は380戸1,000人余りで、出稼ぎに出る人も多いらしい。そうだよね。そうでもしなくちゃ、現金収入が無いもの。
 長くなったので後編に続く。
 

「西遊記気分の北京近郊」古北口長城

2010年04月15日 | 北京の旅
 司馬台長城の古北口(側)入り口ではなく、古北口長城。未だ未修復で観光地化されていない万里の長城のこと。
 地下鉄13号線で積水潭駅下車。東に徒歩10分の徳勝門東大街と言う道路の北側の長距離バスターミナルから919路に乗車。バスは、空調の有無で料金が違うが、なにせ地方労働者の帰省バスでもあるので週末の混雑は半端ではなく(中国人って布団持参で出掛けるから荷物が自分の体の2倍くらいなのだ)、料金の高い空調バスでもギュウギュウ。運が悪ければ立ったままということもある。因に帰りは立って来た。
 しかし、空調バスの難点は、車内に臭いが籠る事。この日、どこの誰かは知らないが、スカシッ屁。しかも、「何を食べたらそんなに匂う」ってなくらいの屁をかまされ、ガス(室)バス状態で古北口へ。
 途中、八達嶺長城を通って、道が司馬台長城方面と古北口長城方面胃別れる。バスを降りたら今度はまた例によって例のごとく白タクだ。バス停には客引きのドライバーがたむろしているので、またも物静かなおっちゃんを指名。
 ほかのギャーギャー五月蝿いおばはんなどは、「古北口長城だ」って言っても、司馬台がいいと言い張るんだもの。なぜなら、みんな古北口長城は知らない模様。マイナーだからね。
 村に着くと、これまたとんでもない所に、料金所あり。料金所から、畦道みたいな道無き道(?)を進んで、「どうやらここが入り口じゃないの?」という場所を見つけるも、ひとっ子一人居なく案内板もない。所謂なーんにも手を掛けていない状態。それはいい、修復していない長城なのだから。なのになぜ入場料25元を払わなければならないんだ。これ、案内所を通らなければただでOKでしょう。しかし、前にも書いたように、万が一、誰かが知ったら10倍の料金取られるから要注意。払うにこした事は無い。
 長城の麓には、夏にはキャンプでもやるのだろうか? プレハブの長屋が一連あり(訪問時は無人)、その横にトイレがあったので用を済ます。が、これはきつい! 水の流れない水洗和式に堆積物が。いっそのこと、外で済ませたほうがどんなに気持ちいいか。だがいい大人がそうも言っていられないので、泣いちゃいそうになりながら済ます。
 修復後の八達嶺長城や司馬台と違い、長城までの施設も設備もないので、すぐに長城。とは言え、単ある山道を登り、頂上に立つと、人一人が立っているのが精一杯に道幅だ。途中東屋はほとんどないので、進行方向から人が来たらアウト! 抱き合うように体を入れ替えなければならないだろう。それとも押し相撲の生き残りサバイバルか?
 もちろん、手すりなんて物も無いので、想像してください。両足幅の絶壁に立つ姿。丸裸の状態だ。
 城壁の遥か向こうには小さな集落がある。これ、「落ちて死んじゃっても誰にも気付かれないな」と思いながら歩いていると1組の家族が見えた。
 お父さんだけ妙にはしゃいでいるのはなぜか? 分かりました。こおのお父さん万里の長城が大好きで、暇さえあればあちこち登っているそう。それに付き合わされている奥さんそしてお子さん3人は渋々。しかし、お父さんは絶好調で、あちこち走り回って、「どうだ、凄いだろー」とか「絶景也」とかご満悦。
 くどうようだが修復されていないので、東屋へも階段も何もないちょっとしたクライミング状態で登り、着いてもそこも手を加えられていないので、斜めになっていたり、石が欠けていたりで気が抜けないのだ。
 にも関わらずなぜかアンテナが1本そびえている。何だと思いますか?
 答えは、携帯電話用のアンテナ。どの長城でも、安全おためにだいたい朝8時から夕方5時くらいと入場時間は決まっているのだが、アホな欧米人が「朝日を観たい」などとぬかしおって、泊まっちゃったりするらしく、そんでちょっとした遭難騒ぎがあるのだとか。そのための、携帯電話用なんだと。欧米人って、築地以外でもアホなことやってるんだね。
 またしても閑散とした「西遊記」の旅。続いて、河に立つ長城を観ようと試みたが、情報不足で断念。

 写真は、長城の険しさが分かるように、人物を写り込ませました。 

「西遊記気分の北京近郊」潭柘寺

2010年04月15日 | 北京の旅
 北京市内から40キロ、門頭溝区・太行山に建つ潭拓寺へや、やはり苹果園から931路バスで潭柘寺下車、なのだが、こちらも本数が少ないため、またも苹果園からは白タク利用。入場料は30元。
 折角なのでお参りをしようと、門前に並ぶ行商のおばはんたちから中国独特の線香を買おうとしたが、「バカ言ってるんじゃねー」くらいに「30元」と吹っかけて来た。あんなもん、10元だって儲けが出る筈。だったら結構、境内で買えばいい。
 こちらは、北京最古の寺と言われており、700年の歴史を持っている。各時代に、多くの高僧を輩出し皇帝もこの寺に詣でた由緒ある寺院。明代の建築様式の建物は、故宮の見本ともなった。
 太行山の傾斜を利用して建てられた寺院郡は、東、中、西の三路に分散し、城砦で囲まれている。境内には数百年を経た銀杏の古木がそびえるのだが、季節は冬の終わり、残念ながら、緑豊かな葉も紅葉も観る事は出来なかった。
 くねった敷地内の道には竹林なんかもあって、ちょっとした嵯峨野気分も味わえる。
 寺院の門を出て右手には墓所があるが、ここにはラマ教色の濃い墓石が並ぶ。
 潭柘寺 近くには戒台寺や鍾乳洞なんかもあるので、早めにスタートすれば掛持ちも可能。

「西遊記気分の北京近郊」川底下村

2010年04月15日 | 北京の旅
 北京市内から約90キロ離れた門頭溝区にある川底下村。こちらも地下鉄1号線・苹果園駅からスタート。A瀬口を右手に出て細い道を直進すると大通りに出るのでそこで、929番、929支番のバスに乗り川底下村路入口」で降りればいいのだが、本数が少ないので、前もって調べておかないと、半日近くバスを待つ場合もある。
 案の定、バスが出たばかりで、次なバスまで4時間待ち。それは待てないとばかりに、またも白タクのお世話になる。往復で200元。1人では割高だが、何人かでシェアすればさほどでもないだろう。
 この日のドライバーは物静かなおっちゃんで(そういう人を選んだから)、普段はお勤めしているが休日だけ白タクのドライバーで(自己)アルバイトをしているとか。いずこも生活は厳しいね。
 そうそう、白タクのドライバーは基本的に往復で、観光している間は待っていてくれる。それも含めて、約1日、200元でも、そうとうな稼ぎらしい、客が掴めない日もあるからね。
 半チャーター的な、乗り合いのミニバスも出ているらしいがそれは分からなかった。
 2時間ほどで川底下村に到着するのだが、川底に行く筈が、グングン山を登る。車窓からはいかにも冷たそうな氷交じりの川が目に入る。
 なぜに川底下村なのか? そもそもは、モンゴルの侵略に備えての要塞的な意味を持つ村で、あまりにも山間部が険しく万里の長城が築けなかったことから、軍を防衛のために派遣したことから始まったとされている説。山西省からの移民が作った村で同族だけが住む説。
 まるで時が止まったかのような、明清代の四合院造りの家が、そのまんまの姿で山肌に並ぶ幻想的な村だ。そのまんまの姿と言うのは嘘で、国の重要文化財に指定されているにもかかわらず、自分の家の前の道を広げるために、勝手に家をぶった切っちゃったり(自分の家だからね)、ペンキぬっちゃったりは、いかにも中国人。
 村の入り口にはゲートと案内所のようなものが設けられ、大々的に観光化を計ったのだろうが、残念。折角建てた案内所に人の姿は無い。ドライバーがどこからか係の人を探してくれて1人20元の入場料を支払った。ただで入っちゃおうなどとくれぐれも考えないように。お金に関して、中国人と諍いを起こすと10倍くらい請求されるからね。
 ボロボロの廃墟のような家でもみな人が生活しているため勝手に踏み込むのはタブーだと思うのだが、室内にづかづか入らなければ、四合院の庭先くらいまではいいらしい。
 訪問した時は、中国のテレビクルーが美人リポーターを伴って撮影してた。
 観光のハイライトは、民家が建ち並ぶ山の真向かいの山上り。ここからは村全体が見渡せる撮影スポッオでもある。
 時間はちょうどお昼時。村には、村人の生活のための雑貨屋が1軒あるだけで、ほかに店はない。では、どうするのか? 勝手に民家に入って行って、ご飯を食べるのがここのルール。
 看板なんか出ていないが、大抵の家ではお昼ご飯を5元ほどで出してくれる。メニューもあるにはあるが、やはり一般家庭、その日に出来る物しか出来ない。ただ5元でご飯とおかず4品は、安い。
 このシステムを日本に置き換えるなら、白川郷の一般家庭に突然ズカズカと入って行って、「飯食わせろ」と行っているようなもんだけど。
 公衆トイレも無いからお昼を食べた家のトイレを借りる事になるので、家選びは大切。ここをしくじると、とんでもないことになるからね。
 私が選んだ家は、まずまずの清潔さで、トイレも和式ながらも一応水洗。と言うのも、便器の後ろにホースをくくり付けてあって、用が済んだら、自分で蛇口を捻って水で流すシステムだった。
 希望すれば1泊15元ほどで、宿泊も可能。まあ、酔狂な欧米人くらいしか泊まれないとおもうけど。
 見捨てておけないのが山頂近くの上り詰めた所にあった廃墟。なんと、「日本軍に焼き討ちされた」と書いてあった。関東軍ってこんな所まで来てたの? と思うと同時に、「なにやってんだよ関東軍」。こんな孤立した村なんて戦略的に意味ないじゃん。それ、単なる暴走だよね。「だから嫌われる日本人」。
 因に子どもたちは麓の学校に通っているとかで、親御さんはマイカーで送り迎えしています。
 
 

「西遊記気分の北京近郊」盧溝橋

2010年04月15日 | 北京の旅
 北京に地下鉄1号線終点の頻果園駅で降り、そこからは白タクで盧溝橋へ。まだまだ冬の名残の3月、枯れた木が寒々しさを誘う。さて、これから始まる北京近郊の旅は、ほとんどが最寄りの町まで地下鉄もしくは長距離バスで行き、そこからは白タクをチャーターするのだが、これは交渉力が物を言う至難の業。ポイントは、怪しげなドライバー<例えばしつこかったり五月蝿い人は避け、値段の交渉はしっかりすること。そして支払いは行程終了後、出発点の戻ってから。そうでないと置いて行かれちゃうからね。
 後は車中でなるべくドライバーの身の上話を聞く。そうすれば、相手も幾分気を許すから。

 さて、そんなこんなで出掛けた北京郊外南西約15kmの永定河・盧溝橋。橋を渡るだけなのに、なぜか入場料を支払い(近隣寿民は生活のため行き来するので無料)、「中央部分は建築時の貴重な文化遺産だから歩かないように」の手手札を無視してズカズカ歩く住民やら中国人観光客を尻目に、真面目な日本人(私の事だけど)は一休さんもどく橋の端を歩く。
 面白い事に、「踏んではいけない」橋中央部の石と、橋の袂の石はどう見ても同じ物なのだが、こちらはいいらしいので、踏んでみたりもする。いかにも中国的だ。
 まあ、以前は川は水をたたえていたらしいが、現在では干上がり、土気色した大地に白い橋があるのみ。一往復して、向かい側の「宛平城」と言う、城壁村へ。
 現在も人は住んでいるのだが、まー、人の気配を感じない、閑散とした村。人っ子一人居ないメイン通りを歩いていると、まるで「西遊記」ご一行様にでもなったような気分だ。
 どうやら、以前、観光地化しようとしたらしく、メイン通りは整備され、レストランや土産物屋や、郵便局の残骸がある。思いつきだけの着工で、店舗の外枠のみ整った状態で放置されている。よって、「ひゅー」と風の服吹く、三蔵法師が、新たな村井第一歩を踏み入れた状態さ。
 村自体は無料なのだが、城壁に登るのは有料。これが村の自治体かなんかの資金になるのだろう。10元ほどだったと思うが、いつになったら、貯まる? ってなくらいに人なんか来やしない。
 城壁は平屋民家の屋根より若干高い程度だが、そこからは、昔は庭もあったであろう四合院造りの小民家が、所狭しと建ち並び、中には屋根から、大木が突き抜けちゃったままの家もある。
 普通は、木を避けて家は建てる物だが、少しでも敷地を確保しようとでも思ったのだろう。雨が降ったら家の中びしょぬれだ。すげー。
 全てにおいて、増築に増築を重ねているので、庭どころか通路の確保も難しく(日本だったら建築許可なんか下り筈が無い)、「こりゃあ、火災があったら全滅だ」状態。
 城壁の外には、日本軍によって命を落とした人の慰霊碑が並ぶのだが、黒いスツール型のそれは、文字が刻まれていなければ、好演の椅子みたいで、「腰掛けちゃう人もいるのでは?」と思わせる物。くれぐれも腰掛けたり上ったりしないように。
 そしてメイン通りになぜか建つ白亜の洋館。ここだけ時代がガラリと変わる立派な建物は、「中国人民抗日戦争紀念館」。折角なので入場してみたが、「行きはよいよい帰りは…」で、日本人だとバレないように日本語シャットアウトでコソコソしちゃいました。日本人には、かなりきつい。いくら国交回復したって、何したって、「中国人が日本人を好きな訳ないじゃん」。
 盧溝橋の端にはテントちんけな土産物屋が埃まみれの、盧溝橋ペナントみたいな(誰が買うんだ)物をボッタクリ商いしているので、根切りに値切って10元で紙粘土のおひな様を買ったけど、家に帰って見たらかびていた。


冷やしトマト

2010年04月15日 | 田舎生活の衣食住
 ただそれだけ。酢醤油とおろし生姜でさっぱりと夏の味。
 スライスしたトマトとチーズを乗せて、オーブントースターで焼いたトーストも朝のメニュー。ちょっと贅沢にするなら、デミグラスソースかレトルトのスパゲティソースをパンに塗るのもありです。
 ホワイトソース系でもいいし、トマト系もいい。ただこの場合、レトルト1袋使い切れずに余っちゃうので、何食も食べ続ける事になるけどね。
 
 新タマネギが出回っているので、オニオンリングのフライをちょこっと作ってみた。最初に食べたのはどこかのファーストフードだったが、あまりの美味しさに目から鱗。
 だが、家で作るとベチャベチャになってしまって美味しくない。天ぷら粉やらフライ粉で試してみたが、味がいまいち、そこで考えたのがタマネギを輪切りにして、唐揚げの素をまぶしちゃう。これならガーリックのいい味も出る。

簡単、おそば屋さんのカレーうどん

2010年04月15日 | 田舎生活の衣食住
 冷たい雨が降って肌寒い朝なので、カレーうどんを作りました。
 ゆで麺とレトルトのカレーだけです。鍋に水とレトルトカレー1袋、鰹出汁、醤油、砂糖を各適宜(麺つゆの代わり)入れて煮立てるだけ。煮たったところで麺を投入。
 唐辛子で食べたけど、胡椒も合いそう。
 おそば屋さんの見事カレーうどんの味が出ました。
 うどん3玉で99円。レトルトカレーは1袋88円だから、33円+88円=121円です。本当はネギも入れたかったけれど、雨なので、庭に採りに行くのが面倒でした。
 もっとコストダウンにするには、タマネギを炒めて、カレールウいカケに麺つゆでもOK。