旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

2 話 上野-鶯谷-南千住

2010-09-18 07:24:59 | 日記
  常に早起き、休みでも朝9時には上野です。日陰でのんびりと気持ち良さそうに寝ているハウスレス
の人を見てのどかな東京を感じました。ハウスレスとは、友人曰く、自分にはハウス(家)はあるが
ホーム(家庭)は無いとの説を採用。実際この方の言には説得力がありました。この上野の人たち
の実態はとりあえず、家が無いと判断してハウスレス。
 決してホームレスを言い間違ったのではありません。

  しばらく行くと同じ仲間の人とは思えない程、力強くほぼ山になっている空き缶つぶしをしている
人たちが背一杯、頑張っていました。何をするにも生きていくのは大変だと思っていると、広場に
パトカーがゆっくりとベンチに近づき寝ている人を起こして職務質問です、やっぱり大変です。
青のシート群は健在でした。この地域の幾つかは青シートの中にテントと言う本格的な二重構造
のものでした。みんな定住しています。税金払っているとは思えないです。

 そこを過ぎるとナカナカ立派な旧池田藩の表門が移設されていました。そして柵越しに
東京芸術大学では学園際が行われるのか本格的な屋台やバーカウンターが見られました。
さすが、芸大と言う感じでした、と言うか最近の学園祭は知りませんでした。

 その後も閑静な住宅地の中のかなり大きな寛永寺を過ぎると新坂で沢山のタクシーが客待ちに
列をなしていました。そのタクシーの列が終わると小さな駅舎の鶯谷駅、線路が9本もある、
これは見ごたえがありました。
高架橋を過ぎると左手にホテル街。遠回りしてホテル街のハズレにある下谷七福神(寿老人)の
元三島神社見物。東京はどこ行っても七福神があるのに驚きます。
 又、お寺が大変多い。各藩のお寺が戦争で焼けてなかったら、やっぱり情緒は京都ですが、
東京は数が凄いです。
 ここは小さな神社ですが効果的に階段があって狭さを感じさせませんでした。この地域を道路ひとつ、
寛永寺陸橋をすぎるとマタマタ下町情緒たっぷりですが、私の定説である家の前に鉢植えが無造作に
並べてある下町と言うのを少し変えなければいけません。無造作では無く、なかなか整備されていて
建物も比較的綺麗なのが多かったです。ガイドブックの説明で今しばらく行くと古い町屋が多い通り。
 これはさすがに今にも倒れそうな隣の家にもたれかかかった家も数軒ありました。でも比較的整備
された地域と言えます。

コースの目玉、禁酒地蔵は私には関係ないのでスキップして、芸能上達の小野照崎神社を少し
カラオケ参加できるようにお参りして、そして航空安全の飛不動もお参りしました。久々に賽銭
を奮発、5円と50円では期待するのが無理と言うも分っています。

 途中、タコ八朗(知らないかな?=刻まれていた字は確か めいわくかけて有難う)地蔵も参り、
鬼子母神のイワレを勉強:インドの恐ろしい子供を食べる神をお釈迦様が戒める為に末の子を隠して
いかに子供が大切かを知らしめたとのことで改心して鬼の漢字の頭のノを取って田の下に思、
見たいな(分るかな?)キシモジンと書かれていました。まあ、行って確かめてください。
 おそれ入谷の鬼子母神!と余りに有名ですが!

 樋口一葉館は入場料が130円と言うこともあり見学しました。10人程の人が熱心に何故か私も
熱心に明治の文豪の勉強をしました。と言ってもその字の美しさに感心しただけです。

 本日はJRの駅にして4駅、良く歩きました。お付き合い有難う御座いました。余り長いと付き
合ってもらえないので今日はこれ位で、お疲れ様です。
コメント (2)
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