最近色々本を読んでますが、先日、松本清張の‘半生の記’を読みました。推理小説と思いましたが、本人の人生の話でした。自分の過去の事を面白く美しく書いて、どうせ図書館で借りた本だからと軽い気持ちで読み始めました。読んで行く内に、この話は小説で作り話かと思い始めました。それ程、劇的でした。私だけ知らないかも...、でも考えさせられました。
兎に角、母親が字も読書きでずに、貧乏な為に小学校しか行けなかった事で苦労して、ましてその為に、つまり学生時代を送っていない為に友人が殆どいないなど、そして、軍隊に召集されていたなどとは考えませんでした。30代後半まで食うや食わずの生活を送って作家になるとは夢にも思わなかったと知って驚きました。その後、素晴らしい小説家になったとは、この本を読むまで、今の今まで、読んでいなければ、ただ単に素晴らしい推理作家と思っていました。彼の小説を読む際には今後はそのバックグラウンドを考えさせられる思いでした。知りませんでした、清張ファンの方々済みません。しかし、あんなに正確に古い事を覚えているとは、流石に作家になる人は違うと言う事になります。私なんか、メモでも無ければみんな忘れてしまって、今書いてる散策日記も言問橋の事や、浅草とか何度も行ったけれど書いたものを失くしたらみんな忘れてしまったのでした。
自分自身、学校に行っていないならと思うと、どうなっていたかと思います。そういう意味で、昔の人は世界が狭く、身の回りの人だけ知って友人など殆どいなかったに違いないと思います。一般の生活は、その日その日を生きるのに精一杯でしたでしょう。
私等と違い、今の人はミクシイやインターネットで、遠く離れた人をまるっきり知らない人ともやり取りできるのは考え方自体も変わらざるを得ないと思います。
自分に照らし合わせて見れば、両親が早くに亡くなるまで、きまま勝手に育ててくれた事に感謝しなくてはいけません。
それとは関係ないですが、私の母親の実家は室町時代から18代続く古い家です。父はと言うと一代で財をなした人の息子でした。父親はおじいさんが福井から出て来て大儲けしました。車が京都にまだ少ない時に京都駅から名前をいうだけで、家まで着いたとか、住んでいた町内で、我が家を含み3軒で成り立つと言われたそうです。田舎には、神社の正面の石灯篭に名前が入って、終生明かりを灯すと言うほど寄付をしました(残念ながら、守られていません)。京都のだるま寺に清水さんで買った、だるま像を大きすぎると言う事で預けたりしました。以前に言いましたが、父がその生涯を残したテープを消した事は前に言いましたが、父親に申し訳なく残念です。
私の場合、振り返って見ますと、物忘れが甚だ激しく、ただトラウマの如くに失敗した事のみが思い出せます。その失敗にしても両親に怒られた覚えがありません。この年になって色々考え思い出してくる事があります。
父親について今思い出すと、骨董品が好きで、電車で、車の免許を取ってから、良く乗せてくれと言われまして一緒に車で行きました。歩かないと駄目だと何時も言っていましたが、直ぐそこに行くときも乗せて欲しいと車で行きました。まだまだ若かったのに、健康ブームの昨今でしたらジョギングを始めてもいい年でした。
昔人間は健康を気にせず、この様にして年を重ねて行ったのでしょう。皆さんも身体に気をつけて歩いて下さい。
★未来あり 昔の事を 参考に★過去未来 今を楽しむ ことに意義★
兎に角、母親が字も読書きでずに、貧乏な為に小学校しか行けなかった事で苦労して、ましてその為に、つまり学生時代を送っていない為に友人が殆どいないなど、そして、軍隊に召集されていたなどとは考えませんでした。30代後半まで食うや食わずの生活を送って作家になるとは夢にも思わなかったと知って驚きました。その後、素晴らしい小説家になったとは、この本を読むまで、今の今まで、読んでいなければ、ただ単に素晴らしい推理作家と思っていました。彼の小説を読む際には今後はそのバックグラウンドを考えさせられる思いでした。知りませんでした、清張ファンの方々済みません。しかし、あんなに正確に古い事を覚えているとは、流石に作家になる人は違うと言う事になります。私なんか、メモでも無ければみんな忘れてしまって、今書いてる散策日記も言問橋の事や、浅草とか何度も行ったけれど書いたものを失くしたらみんな忘れてしまったのでした。
自分自身、学校に行っていないならと思うと、どうなっていたかと思います。そういう意味で、昔の人は世界が狭く、身の回りの人だけ知って友人など殆どいなかったに違いないと思います。一般の生活は、その日その日を生きるのに精一杯でしたでしょう。
私等と違い、今の人はミクシイやインターネットで、遠く離れた人をまるっきり知らない人ともやり取りできるのは考え方自体も変わらざるを得ないと思います。
自分に照らし合わせて見れば、両親が早くに亡くなるまで、きまま勝手に育ててくれた事に感謝しなくてはいけません。
それとは関係ないですが、私の母親の実家は室町時代から18代続く古い家です。父はと言うと一代で財をなした人の息子でした。父親はおじいさんが福井から出て来て大儲けしました。車が京都にまだ少ない時に京都駅から名前をいうだけで、家まで着いたとか、住んでいた町内で、我が家を含み3軒で成り立つと言われたそうです。田舎には、神社の正面の石灯篭に名前が入って、終生明かりを灯すと言うほど寄付をしました(残念ながら、守られていません)。京都のだるま寺に清水さんで買った、だるま像を大きすぎると言う事で預けたりしました。以前に言いましたが、父がその生涯を残したテープを消した事は前に言いましたが、父親に申し訳なく残念です。
私の場合、振り返って見ますと、物忘れが甚だ激しく、ただトラウマの如くに失敗した事のみが思い出せます。その失敗にしても両親に怒られた覚えがありません。この年になって色々考え思い出してくる事があります。
父親について今思い出すと、骨董品が好きで、電車で、車の免許を取ってから、良く乗せてくれと言われまして一緒に車で行きました。歩かないと駄目だと何時も言っていましたが、直ぐそこに行くときも乗せて欲しいと車で行きました。まだまだ若かったのに、健康ブームの昨今でしたらジョギングを始めてもいい年でした。
昔人間は健康を気にせず、この様にして年を重ねて行ったのでしょう。皆さんも身体に気をつけて歩いて下さい。
★未来あり 昔の事を 参考に★過去未来 今を楽しむ ことに意義★