旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

番外 Ⅰ お人よしな被告人!(暫く付き合って下さい) 前篇

2012-05-12 05:04:53 | 日記
 そもそもお人よしなのは、我等兄弟のことです。今回、東京から兄が自分史を知りたくて、亡き母親の実家に過去帳を調べに来た事から始まりました。母の実家は、私の知る限り少なくとも18代続いた家で、その家で兄が途轍もない迎えを受けたのでした。

 母の実家を訪問するのに兄は普通に普段着で行ったそうです。だのに何事が起こったのかと思われるような、向こうは家の跡とり夫妻、妹とその家族一同総勢6人が足元に書類を措いて待っていたとの事でした。それだけでは分からないので少し説明します。

 裁判所からある日突然被告人として出頭せよ、ここで出席すべきだったと今さらながら思います。かなり前、平成11年の事でした。私が裁判所に行かなかったのは、それも土地家屋を権利放棄して譲っただけで行っても仕方ないと自分で判断して勝手に思っていたからでした。間抜けた事ですが、権利放棄すれば行かなくて良いと自分で思っていたのでした。

 我々兄弟が、相続できる京の壬生にある土地(約200平米メートルプラス家屋)を権利放棄してあげたのでした。そもそも今は亡き母親の実家の土地家屋の事で私たちは喜んで差し上げたので、もめる事は無かったのです。それだけだったのに、有難うとただ相手側に感謝されると思っていました。
  
 それが何故にこんな事になってしまったのでしょう。そもそも複雑になっている家系でしたが、ややこしいので簡単簡単に説明します。長女であるお母さんは我が家に嫁ぎ、母親の妹(知りませんでしたが母親が違う)婿養子を貰って家を引き継ぎまして私と同年の女の子を設け、2歳位の時に、その叔母さんが亡くなって、血がつながっていない叔父さんが再婚して2人の子を儲けたのです。そのまま平和にズート暮して我々も叔父さん叔母さんとして仲良く接していたのでした。
 我々兄弟はその叔父叔母さんにその家と土地をあげる事で納得していたのでした。私が知っている二人は良い人と思われ思っていたのですが、その両方が亡くなってしまいました。

 その2人が生前の時に、住んでいる土地と家をあげる約束をして印鑑を押しました。総て叔父さんの計画通りに事は行った様に思われます。しかし、手続きのミスがあり、平成11年に再度手続きとなりしました。
 
 その家のお婆さんは厳しくて、寝小便をしたら布団を持って近所を回ったとか、そこで私の懐かしい思い出がありましす。小さい時は、お祖母さんが元気で良く家に遊びに行きました。小学校の時にその家にあった五右衛門風呂に入いる事になりまして、同い年の従姉の女の子(長女、彼女も相続に不満を言って裁判所に行ったそうです)に一緒に入ろうと言われて恥ずかしくて拒否した事がありました。その家も火災で焼けてしまったのでした。

  話は横道にそれましたが、そんな訳で、いきなり被告人扱いでした。暫くして、相続人から、かかってきた電話も私がいない時で、事務的でしたと聞きました。カッとなって電話をかけ直したのでした。これがそもそもいけない事でした。今思うともう少し落ち着いて電話をかけるべきだったと思い悔やまれてなりません。苗字を持って18代も続いたのに、叔父さんにその昔を尋ねた時に百姓だったと殊更に家を低く言っていました。そして、息子(相続人)に毎度会わさなかったのは私と上手くいくはずがないと思っていたのかも知れません。

  私はただ分かってもらいたくて電話をしただけなのに残念です。本当に良かれと思ってやった事がこんなにも不誠実に取られているとは、悲しいばかりです。若かったですが、もう少し説明しますが、今回の兄に対する無礼も許せないです。でも、この文は大分落ち着いてから書いたものです。
 <m(__)m>   (ちびまる子ちゃん風に) 後半へつづく


  
コメント
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