旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

285 余命

2013-01-19 05:27:13 | 思い出日記
 私と同年輩の人が入院していて、一人で淋しいと思い見舞いに行きました。何十年殆ど付き合いが無いお兄さんが一人いるだけで、たまに会って話をすると言う程度の付き合いでした。気持ち良さそうに寝ていて、起こしてはいけないと廊下に出ました。見舞いの品にメモを書いて、置いて帰ろうと思った所起きてきました。そこで暫く話をしました。

 
 お腹が変だ、水が溜まっているとCT検査を11月9日にしたそうで、本人はいたって元気で食欲が少し落ちた程度だと会っていた以前と変わらなかったのでした。

 実は事前に検査の結果を聞いていて、末期の癌で余命1ヶ月と宣言されたそうです。驚くほど、そんな悲壮感は一切無く、明日から勤める始める仕事が行けなくなると残念がっていました。見舞いに行ったのが23日、2週間経つと死が待つとは、本人に そんな自覚が感じられず、さし障りの無い話をして病院を後にしました。

 会う前迄は死ぬまで一人部屋にいて、多分沢山の人がお見舞いに来ていると思っていました。すると、一人部屋でも狭いと思われる4人部屋で、それぞれにカーテンに囲われて寝ていました。ベットと水がやたらと置いてある物入れがあるだけで、座る場所もありませんでした。仕方無く薦められるまま、ベットの上に彼と2人で腰掛けて話しました。

 あっては困る、何度もある事ではありません、今までの人生で、死を告げられた人と会って話をしたのが初めてでした。経験上、病院に面会に行った時は、ことさら朗らかに明るく話すのが良いと思いました。と言うのも、昔病院を退院した人から、自分は元気なのに見舞いに来る人が悲壮な顔をして、自分がそんなにも悪いのかと思っていたのです。

そんな気遣いが全く必要無く、余計な事が分りました。この様な経験は持ちたくないですが、自分が鈍感なのか、2週間もすれば死と言う現実を感じさせなかったのです。また感じない程普通の話をして、思わず長いしてしまいました。

 その後、 余命1ヶ月を過ぎているのに病院からお正月は自宅で過ごす様に言われて、年越しを一人でどうするか悩んでいたのでしたが、12月24日の朝に突然容態が悪くなりそのまま亡くなったそうです。
 
 不謹慎で残酷ですが、誰でも避けられない死を目前にして、もうどうしようも無いのであれば、1ヶ月の猶予を得てこれ程突然に死を迎えたのは幸いです。癌で苦しんで、苦しんで自分もシンドク、他人に心配と迷惑かけて亡くなるより良かったと思いたいです。

 たまたま同じ時期に読んだ本‘おくりびと’の最後の所に、風呂屋さんの女主人が薪を運んでる所で死ぬのが書いてありました。最後まで仕事をしながら死を迎える、人によって様々な最後があるものだと思いました。

 余命1ヶ月、改めて、死に付いて考えさせられました。眠れない夜を過ごしたと思いますが、他人を煩わす事無く亡くなりました。今でも信じられないですが、SMさんのご冥福を祈ります。 合掌

(余談ですが、一人住まいの女性が、牡蠣にあたって救急車でこの市民病院に運ばれました。その退院の日、大雨が降ったのでした。救急車で来た為に靴を持って行かなかったので、裸足で行けないとスリッパを貸して貰おうとした事がありました。病院はスリッパを貸さず、売ってもくれずに仕方なくタクシー迄素足で帰った事がありました。どうしようも無い病院です。)


 
コメント (2)
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