今なら簡単に欧州迄、半世紀前の私は横浜から 船でソ連ナホトカへ、そこから列車、ハバロフスクから飛行機、モスクワから列車、ウィーン経由で又列車でフランクフルトへ、航空機でストックホルムへ飛ぶというプランでした。そもそも航空時刻表をウィーンはViennaだからfromVを見なければならないのに、恥ずかしながら英語力の無さfromW、Wien発のスチューデントフライトが無いと思い、列車で一番近いフランクフルト迄行く事になったのです。
間違いばかりの旅、その都度誰かに助けて頂き、良い方に行くという幸運にズート恵まれました。結果、最悪に落ち込んだ時、これ以上落ちる事は無い、それ以上に悪くなった時は、その時は最悪では無い事と気付いたのはズート、ズート後の事です。そういう訳で間違い失敗した時はいつも最悪でした。
ウィーンでは重いリュクを預けようとしたのですが、初めて見たコインロッカーの使用方法が分から無い!今時そんな人はいないと断言します。恥ずかしながら50年前の私は、その前でどうしようも無かったのです。たまたまいた画家の古屋さんに助けてもらいました。今度はリュクを取りに行くと、預けたのが無い!途方に暮れていると、隣に鍵も掛けずにリュックが、嘘のような間違いで良く気付いたものです。一事が万事で、のどかで誠に安全な良い時代でした?
宿泊は、ユースホステルリストの中からウエストキャンプ場のバンガローに実に安く泊れました。列車の時刻表を見る為に西駅に行き、別れて数日しか過ぎていないのに同行してきた人たちに会い嬉しかったとメモに...
戻るとアメリカでバイト生活をしていた日本人から情報を得、大変貴重で有難かったです。もう一泊しようと思ったのですが満室で、雨の中ホステルガイドを手に同じ日本人、足立さんと近くのユースに行くと一発OKでほっとしました。
4時迄部屋に入れないので、風体が異様な日本人と町を歩いて食べたフランクフルトが美味しかったとメモに残っています(どのような風体なのか残念ながら覚えていません)。町では、ここでも船で一緒だった人たちに会って嬉しかったのでしたが、日本人の行く所は限られていたなと思いました。
広い道路を渡る時に右見て左を見るとすぐ近くに沢山の車が突進して来るのに驚きました。飛んでも無く危ない、ここは車は右側通行だったのです。田舎者丸出しですが何もかもが初めてでした。町中を歩き、公園のすばらしさは格別で緑と鳥の多さにも大変驚きました。
ユースで英国人が私の持っているニコンカメラを褒めてくれたのを嬉しく良く覚えています。カナダの教師、パキスタン人と一緒で、そこでの話で北欧での労働の厳しさを知りました。これから旅をするうえで色々な人たちを会いますが、一応私のつたないYMCA英語も通じると確認して、まずは一安心。