スマホが未だ一般化してい無い時アメリカン航空を退職!時代の先端を走っているつもりでしたが、何時の間にか既に時代遅れ化石化状態に🙃孫の小学生も扱えるスマホですが通話無し状態😓ラインを見ていないと妻に!指で操作等出来きないで使い方が分からず困った人になりました。そんな私がその昔が一人でデンマークの後、英国渡り約1年、そしてアメリカ大陸を横断、ニュオーリンズで知り合いがいただけですが市長から名誉市民に!ハワイに日本にいた牧師家族と世話になり、世界一周を終え帰国!こんなハチャメチャ無茶苦茶な事をやったなと!日本を出る前YMCAに即席英語😓何も知らないから、それを許してくれた世界がありました😄現在夢無し状態ですが夢も見る事も無く早起き、そんな私が私が世紀前のデンマークでは...
デンマーク語が出来ないと言う訳で子供達の世話を一つには肉体労働者として身体を使った遊びをして、子供たちを肩車や机の上から私を目掛けてジャンプして飛んで来るのを一人づつ受け。みんなは元気に一杯、終わりと言っても又並ぶ!本当に大変気に入られました。可愛い子供達でした。私は大いに疲れました('_')
それと習いたてのデンマーク語を子供達に教え!今でも覚えているのが、ボーダンハーズデイ⇒ヤハデゴッツ(ごきげん如何が、良いです)簡単な言葉が中心ですが、それで十分でした。数の読み方を教えて、イン、トーウ、トゥリィ、フェア、フェム、シックス(1,2,3,4,5,6)とか、特に面白いのですが、時間は特別な言い方をします。
7時25分を言い表すのに、8時に30分前に5分前と言います。つまり、フェム(5) ミニュタ イ ヘル オウデ(8)と言います。こんな不思議な言い方が一般的に使われていました。分かり難いですが、懐かしく、こんな風に数字とか時間であれば簡単なので教えていた事を思い出しました。
クリスマスは皆で12月25日迄、マークの付いた毎日ロウソクを一日1メモリ灯りを付けて消し!31日には日本と違い花火をあげて新しい年を町中で祝いました。
コペンハーゲンの街をユースでの友人土屋君と一緒に窓から見た花火はとても美かったと記憶しています。あれだけの美しい花火はその時もその後も見た事は無いです。この時、どうしてユースにいたのか思い出せないです。
花火は12時を過ぎてから長い間永遠に続く様に町中で新年を迎えた喜び、丁度家の屋根が、ディズニィのタイトルバックの様に街並みの夜景が シンデレラ城の如く、その回りから花火が上がる、そのものの光景を思い浮かべてもらったら分かると思います。懐かしい思い出です。