「正月や冥土の旅の1里塚!目出度くもあり目出度く無し!」いつ死んでも有難うさんです。そういう年になりました。昔、正月の映画を観るには舞台袖に上がり画面2メートル程の所に座って映画を見ました。観客で一杯で満員電車状態(!それでも映画を楽しみにして、中村(萬家)錦之助、千恵蔵、東千代之介、市川歌右衛門、それにコメディアンの堺俊二等々!夏休みには公園で映画会、人が多くて画面の後ろから映画を見、殆どが白黒映画で、総天然色、シネマスコープは最初に画面に出てきました。2本や3本立てが当たり前でした。前の映画が終わる前に席取り!流石に結末を知るのがいやで映画を見ない努力をしていました。
マンボズボン?が流行った頃、兄がその細さが似ていた股旅ものが流行ると言っていた通りになりました。映画は2-3本立て、1本はメイン、2本3本目はいい加減なモノ。
間違っているかもしれませんが、「釣りバカ日誌」は初めのころ「寅さん」との2本目の映画でやっていたと思います。寅さんはテレビの連続もので、都蝶々が寅さんの実の母親役で京都の東山安井のラブホテル(今は知らないですがそのラブホテルは現在マンションに!)に働いていました。シリーズの終わりに寅さんは沖縄に行ってハブに噛まれて死にました。
シネコン全盛時代になって盛り返しましたが、今や映画館に行って見るよりも、家で鑑賞することが多い時代となって来ています。立って2時間にも及ぶ努力のいる映画はありません。映画の衰退はテレビが一般家庭に入った事ですが、レジャーが多様になったと一般に知られています。そのテレビですが、面白さに欠けて見なくなりました。映画、テレビでも侍や、街や村の大人だけで無く子供迄着ている新品の着物が気になります。黒澤明監督は「7人の侍」を撮る為、古く見せようと2か月着物を、こすったそうですが、臭いがするようなのを着て欲しいです。白黒映画にこだわった黒沢監督!今や皆、折り目付の新しい着物を着ています。
映画俳優はいなくなりました、懐かしい京都太秦映画村!高い俳優を使わずCDで映画を作りあげる映画迄!そしてテレビも高齢者のだけのモノように小学生迄スマホ、時代はドンドン変わって行きます。パソコン自体古くなり年寄りの部類になりここらで一休み‼長い間有難うさんです。