間寛平さんが芸能生活50年を振り返って『ひとえにみんなのおかげ。僕はホンマに努力していないから。みんなに支えられていると思うもん。いくつになっても甘えんぼやね。』と、同い年の私も同感と言うか、その言葉まんま私の事です。こんな事があったな、様々な事を思い出しながらの50年前。その当時の名前とか、それどころか、そこにいた事も忘れています。(最近は酷いです!それは別(>_<))それらを承知で付き合って貰えればと嬉しいです。では、そんな話の続きを!
ユースにはアメリカから来た人達がいて賑やかでした。日本人が10人程で貸し部屋を滅茶苦茶にした!何か家主ともめて面白く無かったようで腹いせにやったのだそうで、後から、その部屋に入った人が訴えたとの事。警察に目を付けられているとションボリしていました。
暫く皆とアレコレ話をした後、路線バスでクヌードサン宅へ。エリザが家事の最中で、早速手伝いしました。(路線バス、お金が無いのは強い。今ならタクシー、と言って今持っている訳ではありません。念の為!
その後、京都の絵はがき等を見せ、扇子、風呂敷を渡して日本はどのような所かを説明しました。持ってきた日本茶にお砂糖を入れるのかと聞かれ、日本茶に砂糖??勿論、入れませんでしたが、まあ不味かったでした。それを不味いと言えなかったのでした。後から考えて欧州の硬水のせいだと思います。夕食後、彼らは出かけたのでテレビを自分の家のように...そして勝手に寝ました。
翌朝、エリザがアポを「病人の為の高齢者施設」に、ちょうど団体の訪問者がありました。まずいと思ったのですが説明も聞けてかえって良かったのでした。その後、院長と会い直接質問ができる幸運に恵まれました。
次に、酔っ払いの厚生施設を訪問。酔っ払いと聞き少し不安になったのですが、陽気な人が多くいて、何よりも驚いたのがスタッフの若さでした。同年輩の女性と思いましたが、デンマークの女性は背が高く、実年齢より上に見え、もっと若かったかも?彼女が説明して直接案内してくれましたが、その態度はテキパキして大変、気持よく素晴らしいものでした。
訪問後、北欧でもこんなに暑くなるんだと言うくらいに日本と変わらない暑さでした。夜には、チボリ公園に連れて行ってもらいましたが、人がやたら多くて自分の好みでは無いと思いました。その後大好きになって30年後、再び訪れました。その時にはヘルシンガー迄ドライブに、こんなにも良くしてくれたのに感謝の気持ちが少なく足りなかった事を悔いています。この前、高齢者施設のバイトを辞める時に、大きな花束を頂いた時に同じように感謝の気持ちを表すのが相変わらず表現下手、生涯かけて、それも短くなったけれど変えていくつもりです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます