旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

164 話 我が家

2010-08-20 22:15:30 | 日記
 世界中の色々な人と会って、一杯見て経験した旅をどうにか終わって、その後、どうやって、
どうして我が家に帰ったかは殆ど忘れてしまっています。また、思い出したら、皆さんにお知ら
せしたいと思っていますが、行く時は別れをあんなに淋しいものと覚えていたのに、この着いた
事は何も思い出しません。考えて見ると、色んな事を経験して、それだけ成長したのかも知れません。

 私の人生で、京都を長く、これ程長く我が家を離れていた事は、これ以前も以後もありませんでした。
ハッキリ覚えているのは、一人で京都を出たのも初めて、何もかも初めての私が、懐かしい丸太町通り
(電車道で小さい時に蹉跌取りをするのに線路で磁石を糸で引張たり、鉛筆のキャプをどうやったか、
綿を詰めてロケットにして飛ばしたりした大通り。今なら、交通事故が大発生です。)、から我が
家がある黒門通りに入った途端にタイムトリップの様な異質な世界に入ったのでした。

 そう、皆さんにはこの感覚は分からない方が殆どだと思いますが、その見慣れたはずの家並みが
凄く古くて、低くて小さくて自分が反対に凄く背が伸びた様に思ったのでした。本当に自分の
背が高くなったのでした。そう、思ったのでした。
暫く歩いてその理由が分かりました。手が届く程、一階のノキが凄く間違いなく低かったのでした。

 今まで、外国で普通に思っていた家が普通では無かったのでした。狭い黒門通りの京都の家並み
は背が低いとその時に気づいたのでした。だから自分が背が高く見えたのでした。今、行っても
普通の家に思うのに、その時は正直、大変驚きました。それで、京都に着いたと感じました。

 我が家に帰って、当然母親が待っていてくれたと思ったのでしたが、まだ、帰ってなくっ て、
それから暫く経って母親が帰ってきて、今でも覚えているのが、’いやー、夢見てるみたいやなー
と言ったのに、私は少し不機嫌に答えて’’お父さんに会いたかった’と言ったのでした。その事が後で、
悔い残る言葉になったのでした。

 その後、私の帰国を待って父親の一周忌に納骨を兄弟親戚一同でしました。そのまま、今まで
行ったことの無い四国、九州旅行(修学旅行で出た以外、本当は何処にも行っていません。)行った
のでした元気一杯でした。その時、多分ロンドンにいた時の知り合いに紹介された佐賀に行って、
恥ずかしながら、店やもんと言う言葉を初めて知ったのでした。ここでも、何も知らない事を
知ったのでした。知らない家にお世話になりました。

あるユースで夜、食後、皆で歌を歌うなど恥ずかしくてできませんでした。日本のユースは
違ったのです。四国では予約無しに安宿に泊るなど(多分、何処でも予約などしていません)
今では信じられない旅をしたのでした。良く、続けて旅を続けられたと、若い故に何も知らなかった
から、そんなものを思ってやっていたのでしょう。今、同じ事をやれと言われたら…
 
 やっぱり、もう一度やれたら、違った自分が生まれ出たと思います。
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