ワシントンを一応観光してからニューオリンズ迄、またまたバスで行きました。アメリカでのヒッチハイクは、さすがに危なくてできませんでした、というより日本にいる時から考えていました。
ちょうど、クリスマスシーズンと言う事で、乗った夜行バスは超満員でした。一人私の斜め前の人が、自分の前の人がリクライニングしようとしてその人が6フィ-ト以上あって背が高いのでその断りを入れていた事を思い出します。特別背の高い人がバスに乗るにはスペースが十分無かったのでした。
日本のバスだったら乗れないし、日本人の倍以上程ある重い人はどうしたのでしょうか? (今、カルチャーショックを受けるのはアメリカでどの店でも女性の肌着を売っている所でパンティがぶら下げてあるのを見て、私の両足が片方に入るのを見てショックを受け、それをはけそうな女性が常に後ろにいる時でした。日本人も最近大柄化していますが、異常に米国人は大きいです。デンークの人も大きいですが、大きさが違います)
その途中の事、着いてからの事、何も覚えていません。ただ、知人のMrs.シモノウの実家に厚かましくも(その時は厚かましいと思っていなかったです)いつもの如くお世話になりました。
シモノウさんは京都で私が日本語を教えていて、教会に音楽を教えに来たのですが、京都弁と知らずに私が話す言葉を標準語として教えていましたから、ご本人は今思うと迷惑だったけれど、私の京都弁を習った事は、良かったと思います?
私はこの旅行で標準語を覚えた(つもり)のですので、その時は、一般に通じる京都弁を習えたのですから、今(現在は標準語を話す?)では話せない言葉ですから、良かったとすべきでした。
ただ、教師としてアルバイト料を頂いたのが、申し訳ないと思っています(滅茶します)。
北白川通りを少し入った、比叡山に抜ける右手にありましたが、京都の外れと私は思っていましたが(狭い地球感でした)、今は、銀閣寺等比較的に街中ですが、さすがアメリカ人で、素晴らしい家に住んでいました。
帰ってから、日本語を国際学校で職業として教えるつもりで面接まで行った事を思い出します。ただ、当時は説明を受けて教師で食べていけないと分かり残念ながら止めました。
その家のお父さんですが、まるっきりの南部訛りのきつい米語を話す人でした。毎朝顔を会わす度にHow do you do? と言うのではありませんか。昨日あった所なのに忘れたと思っていましたが流石に何日も言われるとHow are you?と聞いていると分かったのでした。それ以外に言うのがゆっくりしていて、京都の私が言うのも可笑しいですが、例えば、ハウ(2秒あけて)ドユ(2秒あけて)ドウ この様な言い方でした。
これが、冬とは言え車の中は眠くなるほど暖かくて、そこでyesと言われると眠さを誘う言葉で、いぁー(暫くして) いぁー と言う言葉が耳に残っています。
これはロンドンで見た、オオカルカッタのミュジカルで米国南部の場面で、ロッキングチェアで如何にもだるそうに いぁー いぁー と言っていたのと同じでした。それが、良く分かり本当に驚くほどノンビリしていたのでした。
着くと先ず、早速日本領事館に、パスポートの再発行をしに行かなければなりませんでした。
ちょうど、クリスマスシーズンと言う事で、乗った夜行バスは超満員でした。一人私の斜め前の人が、自分の前の人がリクライニングしようとしてその人が6フィ-ト以上あって背が高いのでその断りを入れていた事を思い出します。特別背の高い人がバスに乗るにはスペースが十分無かったのでした。
日本のバスだったら乗れないし、日本人の倍以上程ある重い人はどうしたのでしょうか? (今、カルチャーショックを受けるのはアメリカでどの店でも女性の肌着を売っている所でパンティがぶら下げてあるのを見て、私の両足が片方に入るのを見てショックを受け、それをはけそうな女性が常に後ろにいる時でした。日本人も最近大柄化していますが、異常に米国人は大きいです。デンークの人も大きいですが、大きさが違います)
その途中の事、着いてからの事、何も覚えていません。ただ、知人のMrs.シモノウの実家に厚かましくも(その時は厚かましいと思っていなかったです)いつもの如くお世話になりました。
シモノウさんは京都で私が日本語を教えていて、教会に音楽を教えに来たのですが、京都弁と知らずに私が話す言葉を標準語として教えていましたから、ご本人は今思うと迷惑だったけれど、私の京都弁を習った事は、良かったと思います?
私はこの旅行で標準語を覚えた(つもり)のですので、その時は、一般に通じる京都弁を習えたのですから、今(現在は標準語を話す?)では話せない言葉ですから、良かったとすべきでした。
ただ、教師としてアルバイト料を頂いたのが、申し訳ないと思っています(滅茶します)。
北白川通りを少し入った、比叡山に抜ける右手にありましたが、京都の外れと私は思っていましたが(狭い地球感でした)、今は、銀閣寺等比較的に街中ですが、さすがアメリカ人で、素晴らしい家に住んでいました。
帰ってから、日本語を国際学校で職業として教えるつもりで面接まで行った事を思い出します。ただ、当時は説明を受けて教師で食べていけないと分かり残念ながら止めました。
その家のお父さんですが、まるっきりの南部訛りのきつい米語を話す人でした。毎朝顔を会わす度にHow do you do? と言うのではありませんか。昨日あった所なのに忘れたと思っていましたが流石に何日も言われるとHow are you?と聞いていると分かったのでした。それ以外に言うのがゆっくりしていて、京都の私が言うのも可笑しいですが、例えば、ハウ(2秒あけて)ドユ(2秒あけて)ドウ この様な言い方でした。
これが、冬とは言え車の中は眠くなるほど暖かくて、そこでyesと言われると眠さを誘う言葉で、いぁー(暫くして) いぁー と言う言葉が耳に残っています。
これはロンドンで見た、オオカルカッタのミュジカルで米国南部の場面で、ロッキングチェアで如何にもだるそうに いぁー いぁー と言っていたのと同じでした。それが、良く分かり本当に驚くほどノンビリしていたのでした。
着くと先ず、早速日本領事館に、パスポートの再発行をしに行かなければなりませんでした。
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