子供の頃、京都の街中では昔から住んでいる人ばかりで碁盤目で区画がハッキリと分かれ町(ちょう)意識が強く、住んでいた小伝馬町では子供会の夜回り「火の用心!」子供会が各家の回し持ち!小学校で町対抗で運動会、野球大会!甲子園児そして監督だった兄が活躍を!なんでも町単位。現在その我が家の後にはアパート!今住んでいる豊中の家は同時期に入居したので挨拶無しで隣近所は、何する人ぞ状態。が、何故か初めて裏の家の人が引っ越しの挨拶に不思議でした。後で我が家の裏手は無理をすればリビングが覗ける位置に!引っ越しの挨拶を忘れずに!どんな人達が住んでいるかを知る良い機会です。昔と違いマンションの方が毎日エレベーター等で顔見知り😌
半世紀以上前のコペンハーゲンでは!エリザからの電話で、施設に住込みで働けると知らせてくれたのでした。見ず知らずの私の為に、この旅の目的である北欧の福祉について合った所を紹介してくれたのでした。
当時は福祉という言葉がなじみが薄く、北欧が最先端を!休学の手続き上スウェーデンの福祉を...就てもなく目指し!偶々、寝る所が無く困っていたのを見ず知らずの人間に!本当に幸運な出会いでした。運命と言わざるを得ないでした。(年を取ると幸運から見放され、他人に頼り運で生きて来たしわ寄せが😓)
施設では、昼に責任者ベントが来るのを待って事情を話した所、仕事が忙しいのに色々と骨を折ってくれました。明日、警察に行って滞在日数を延ばす手続きを代わってしてくれると言うのでした。ここでも、自分とは関係無いのに本当に素晴らしい人ばかりでした。
エリザの進言で、ベントにお礼をすべくワインを買ったのでした。今晩飲もうと言うと、凄く喜んでくれたのでした。進言に従った甲斐がありました。
仕事の終わりにベントは色々と私の為に書類を作って、警察は問題無いと言ったのです。が、不安は拭い去れなかったのでした。
やっと仕事を終えたベントにワインを飲んでもらう事になったが、ベントは少し飲んで話をすると家に用事があると帰りました。
それと入れ替わりにマリアンがビールを持ってやって来たのです。彼女は細いわりに良く飲むので驚くばかりでした。彼女とゆっくり話をしたのは、初めてかも知れませんでした。後でビールを女性が飲むのが普通であると知りました...続く
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