昨日の続きで、『竹内好 ある方法の伝記』から、印象づけられた或は気になる箇所を摘録し、それに若干の感想を加えていく。
戦中、中国そして日本で、竹内は何人かの中国人作家たちとの交友を通じて、日本人と中国人の在り方について思いを巡らす。その時期の竹内について、鶴見はこう書く。
彼は自分が生きてゆく時に、自分をみちびいてゆく心像を大切にする人である。しかし、自分の心像だけをたよりにして、それをつくりだした外の現実に目をとざすというふうではない。(中略)自分が偏見によって生きる他なく、しかし、その偏見をうちくだく知識をさがし求めるという竹内の方法は、この時代に、すでにあらわれている(91-92頁)。
誰にせよ、いつであれ、偏見は避けがたいことを自覚した上で、自分の偏見を正確な言葉で述べること。そして、その発言に責任を持つ。その上で、その偏見を克服する知識を探求する。そのような知識が見出されたら、自分の過去の偏見を捨て去り、それを示す新たな行動あるいは発言・文章表現を行う。このような方法的態度を貫くことによって自己を形成していく。この過程におそらく終わりはないであろう。これこそが思想的営為の一つの形であろうかと思う。
竹内は『転形期 ― 戦後日記抄』の中に、「偏見はたのしい。しかし、無智はたのしくない」(1962年6月21日)と書き記しているという(92頁)。自分の考えを大切にしつつ、それを突き放して見ることができる心の余裕がなければ、こうは言えないだろう。