内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

私撰万葉秀歌(5) 八十娘子らが汲み乱ふ ― 可憐なる映像詩

2014-01-20 00:00:00 | 詩歌逍遥

もののふの八十娘子らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花 (巻十九・四一四三)

 「たくさんの娘子たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子の花よ」(伊藤博訳注『新版万葉集 四』角川文庫)。「八十娘子」は「ヤソオトメ」、「乱ふ」は「マガウ」、「堅香子」は「カタカゴ」と訓む。「堅香子」は、カタクリのことで、春、水辺の地に群生する。花弁の色は薄紫。その咲く姿はなんとも可憐。「寺井」は、「寺の境内に湧く清水」という説明を手元の古語辞典に見いだせるだけなので、そこからこちらの想像を膨らませて、この歌に詠まれた情景を描き出してみよう。
 早春、冷たく澄み滾滾と湧き出る水を汲みに水桶を手に、午前の陽光のきらめきの中、笑いさんざめきながら入れかわり立ちかわりやってくる乙女たち。その傍らに慎ましくも凛と可憐に咲く堅香子の花たち。見事と言うほかない動と静の対比、全景から小景への鮮やかな転換。湧き水の周りの乙女たちの賑やかで靭やかな身の動きを全体としてとらえた上三句から、その情景の中で乙女たちの足元に咲いている物言わぬ花たちをクローズアップする下二句へと、「寺井」を転換点として視点が移行する。乙女たちの〈動〉と花たちの〈静〉とを、寺井に地より湧き出る生命の源である水が結び合わせる。たった三十一文字によって構成された美しい映像詩。大伴家持のこの傑作によって、早春の生命の美が日本語において永遠化されたことを、改めて言祝ぎたい。