内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

採点がまだ終わりません

2014-01-28 02:16:00 | 講義の余白から

 今朝(二七日月曜日)、プールでひと泳ぎした後、午前九時から夕方まで、昨日の記事で試験問題を公開した「同時代思想」の答案の採点をずっと続けているのだが、まだ終わらない。あと六つ残っている。今晩中には終わらせないと、水曜日の講義の準備に差し支える。受験者は十六名で、そのうち二名は白紙答案だったから、ちゃんと読んで採点すべき答案はたった一四枚なのだが、それでも容易ではないのである。
 その理由はいくつかあるが、まず、一つの答案の長さ。答案用紙はA3を二つ折りにした四頁を一枚と数えるが、私の講義の試験では、書きたいだけいくらでも書いていいことになっており、しかも試験時間は三時間あるので、熱心な学生たちは十頁以上の答案を書く。もうこれは立派な小論文である。だから、単純に総頁数だけでもかなりの量になる。しかし、それだけではない。昨日掲載した十のテキストを試験一月以上前に送っておいたからであろう、学生たちはテキストをちゃんと読み込んできており、訳を要求した三つのテキストだけでなく、他のテキストも引用し、さらには講義で取り上げた他のテキストや論点まで言及してある答案が大半で、こちらも相当に考えながら読まないといけない濃い内容になっている。だから、答案を読むだけでも時間がかかるのである。それに、単に点数をつけるだけではなく、答案の余白に細かくコメントを書き込んでいくということもある。この作業に特に時間がかかる。
 どうしてそこまでするか。学生たちは、成績発表後に自分の答案を見る権利があり、採点に疑問があれば、担当教員に問い合わせる権利も持っている。それに、点数に不満な学生だけでなく、良い点数を取っている学生も、自分の答案がどう評価されているか知るために見に来る。だから、私がどうのように答案を評価しているかを答案の余白に詳しく書き込んておくことで、それらの要求に予め答えることになるのである。ここまでしておけば、採点についての問い合わせはまず来ない。
 今日の記事の締め括りとして、昨日掲載した十のテキストの「人気番付」を発表し、それについての感想を記しておく。

一位 大森荘蔵 九票
二位 井筒俊彦 七票
三位 西田幾多郎 六票
四位 和辻哲郎 五票
四位 三木清 五票
六位 九鬼周造 三票
六位 時枝誠記 三票
八位 丸山眞男 二票
九位 田辺元 一票
九位 家永三郎 一票

 大森の一位は、昨年に続き二年連続。これは予想通り。仏訳しやすいし、テーマが論じやすいものだからだろう。今年度初登場の井筒が七票集めたこと、西田が三位に入ったことは、ちょっと意外だった(昨年は六人の著者を仏訳問題に出したが、西田を選んだ学生は零だった)。井筒人気は、学生たちの問題意識を反映してのことだろう。西田のテキストが選ばれたのは、講演原稿で日本語として訳しやすかったのと、内容も比較的理解しやすかったからであろう。和辻のテキストは、いわゆる日本思想の典型的な問題の一つを扱っているが、訳すとなるとちょっとやっかいなのだ。三木のは、イメージ豊かで十のテキストの中では一番文学的なのだが、構文的に難しいところがあり、かなり出来る学生でないと訳しきれない。九鬼のは、講演原稿で構文的には訳しやすいのだが、偶然性固有の問題を把握するのは容易ではなかったのであろう(昨年は大森と人気を二分したのだが)。時枝を選んだのは、日本語が特によくできる学生たちだったようだ。丸山のテキストの不人気は、構文的に入り組んでいて、よく理解できなかったことと、他のテキストとの関連付けも難しかったことによって説明できるだろう。家永については、構文は見て取りやすいのだが、丸山のテキストと同様、他のテキストとの関連付けの難しさが不人気の理由だと思われる。田辺のテキストは、構文・語彙ともに難しく、しかも何が問題か摑むのさえ容易ではなかっただろう。