磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに(巻二・一六六)
罪死した弟大津皇子の遺体が葛城の二上山に移葬された時に、同母姉大伯皇女が悲しんで作られた歌。長年の愛読書の一つ塚本邦雄撰『清唱千首』(冨山房百科文庫、1983年)には、「謀られて死に逐ひつめられた悲劇の皇子大津を悼む同母姉の悲痛な挽歌」、「不壊の名作であらう。馬酔木の蒼白く脆く、しかも微香を漂はす花と、この慟哭のいかにあはれに響きあふことか」と、撰者自身の感動が伝わってくるような評釈が付されている。角川文庫『新版万葉集 一』の脚注にある、「当時、死者に逢ったことを述べて縁者を慰める習慣があった。これを踏まえる表現。罪人については人々は口をつぐんだ」という説明を読むことによって、下二句の「見すべき君が在りと言はなくに」という痛切な叫びがより深く胸に響く。罪人として刑死せざるを得なかった弟の死を嘆き悲しむ自分を慰めるために、弟のことを語ってくれる人さえいないのだ。同版の伊藤博訳を引いておく。「岩のあたりに生い茂る馬酔木の枝を手折りたいとは思うけれども、これを見せることのできる君がこの世にいるとは、誰も言ってくれないではないか。」