降る雪のあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒くあらまくに(巻二・二〇三)
歌の詠まれた場面を示す題詞をそのまま書き下し文で引く。「但馬皇女の薨ぜし後に、穂積皇子、冬の日に雪の降るに御墓を遥望し悲傷流涕して作らす歌一首」。高市皇子・穂積皇子・但馬皇女は、天武天皇を父とし、それぞれに母を異にする異母兄弟妹。但馬皇女は初め高市皇子と同居していたが、穂積皇子に想いを寄せ、密かに通じ、それが露顕したことが、同巻・一一四-一一六の一連の皇女の歌からわかる。その皇女が亡くなり、時が経ち、ある冬の日、吉隠の猪養の岡にあるその墓を遥かに想いやり、涙を流しながら穂積皇子が作ったのが上掲の歌である。「吉隠」は「ヨナバリ」、「猪養」は「イカイ」と訓む。この岡は初瀬峡谷の奥にあるから、皇子は藤原京から遥か東方を眺望して追慕したのである(岩波文庫新版『万葉集(一)』注釈より)。「降る雪よ、たんとは降ってくれるな。吉隠の猪養の岡が寒いであろうから」(角川文庫『新版万葉集 一』伊藤博訳)。題詞に示された僅かな手掛かりから、想像力を駆使して、皇子・皇女たちの悲恋に想いを馳せるのも、万葉集を読むときの醍醐味の一つである。