内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

滞仏丸二十二年

2018-09-10 11:33:49 | 雑感

 このブログを2013年6月2日に開始してから、毎年9月10日にフランスでの生活を振り返ることが個人的な年間恒例「行事」の一つになっている。
 1996年9月10日に渡仏してから今日が二十二回目の「記念日」である。当初は、こんなに長く居るつもりは毛頭なかった。というか、翌年自分がどこにいるのかさえ想像できないような体たらくであった。それが思いもよらぬ様々なきっかけで、というか、奇しきめぐり合わせで、とうとうフランスで還暦を迎えるに至った。感慨深い、というよりも、茫々と過ぎてしまった時間の長さにただ呆然としている。
 想定外の事情が突発的に発生しないかぎり、少なくともこれから定年までの九年間もフランスに居ることになるだろう。積極的にそうすることを選ぶというよりも、他の選択肢は非常に想像しにくいから、高い確率でそういうことになるだろうというのだけのことである。
 今日が大学の新学年度の授業開始日である。私自身は火曜から金曜まで授業がある。火曜は修士二年の作文技術の演習(二時間)が隔週、水曜日は修士一年のテキスト講読と口頭発表を組み合わせた演習(二時間)、木曜日は学部三年生の古典文学の講義(二時間)、金曜日は同じく学部三年生の日本現代社会史(二時間)と日本文化についての日本語での講義(一時間)。今年から新カリキュラムに切り替わり、昨年までの講義資料・ノートをそのまま使える古典文学の講義を除いて、すべて新たに毎回零から準備しなくてはならないから、毎週そのために相当な時間がかかるだろう。これは、しかし、教員たるものの主たる職業的義務であり、少しも嫌ではない。
 学科長としての雑務もひっきりなしにある。今日もこれから大学に出向く。しばらくは月から金まで毎日出勤であろう。普通に会社勤めをされている方たちには当たり前のことだが、大学教員にとって、これは過重な負担である。しかも、大学に行っても研究室などないのである。もちろん学科長室など夢のまた夢である。五人の専任教員に対して机が四つあるだけの狭い教員室が一つあるだけである。つまり、そこでは講義の準備などできたものではないのである。
 こんなぱっとしない灰色の現実を従容と受け入れつつ、毎朝プールで泳ぎ(今朝も泳いだ)、毎日このブログの記事を書き、大学では課された任務を粛々とこなし、その合間を縫って自宅で講義と研究発表の準備もするという滞仏二十三年目が今日から始まる。