内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

カイロスとクロノス(8)― 預言者たちから使徒たちへ、あるいは未来から現在へ

2018-09-22 23:59:59 | 哲学

 使徒を意味するギリシア語 apostolos とは、救世主から派遣された使徒であり、救済のメッセージを伝えることがその使命である。ヘブライ語でこのギリシア語に対応するのは šaliah であり、主に法律用語として、ある一定のミッションを実行するために派遣された者という意味で使われていた。古代ユダヤ世界で šaliah は、派遣した者それ自身と同等の資格を有するとされた。この意味での使徒は、派遣された場所で己を派遣した者と同等の資格をもつ執行者である。
 この意味での使徒は、預言者とはどう異なるのか。アガンベンは、パウロ書簡に依拠しながら、パウロが使徒は預言者に取って代わる者であることを主張していることに注目する。預言者とは、ヤハウェの息吹を直接に受け取り、その言葉をヤハウェの言葉として取り次ぐ者である。それに対して、使徒とは、自ら使命を実行する者であり、そのために自分の言葉を持つ。
 預言者たちは、すでに破壊されてしまった過去の理想をいまだ到来していない未来のために語る者たちである。そのメッセージは、メシアの到来を予告する。しかし、その到来がいつかは預言者たちにはわからない。彼らの預言は、そのいつかはわからない未来のための言葉である。
 ところが、使徒たちはメシアの到来から語り始める。その時、預言者たちは黙らなくてはならない。預言は成就されているのであり、もはや預言者たちの出番ではないからである。言葉を発する者は、預言者たちから使徒たちへと交代している。その使徒たちの言葉は、未来には向けられておらず、この現在のこととして発される。パウロがメシアの到来を語るのに ho nun kairos 「今の時」というのはそれゆえのことである。