内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

講義・演習のためのパワポ&資料作成を通じて気づいたことなど

2018-09-26 23:59:59 | 講義の余白から

 今日明日と連載「カイロスとクロノス」はお休みします。理由は、火曜から木曜まで(より正確には金曜日の朝まで)、講義・演習の準備におおわらわで連載記事のための時間が確保できないからです。三年生の文学史の講義以外、全部新しい内容なので、これまでに蓄積された資料のほとんどが使えないことが準備をそれだけ大変にしています。それに、パワーポイント作成はほとんどもう趣味の域に達しているというか、「何もここまで作り込まなくてもいいんだけどなあ」と独りごつほどに入念に準備するので、それでさらに時間がかかってしまうのです。その出来映えは、学生たちにも概ね好評のようですから、その意味では苦労の甲斐があるというものです。
 修士一年の演習では、今はまだラフカディオ・ハーンのテキストを読んでいるところなので、パワポ作りは必要ないのですが、英仏日の各語での資料を逐次的にあるいは同時にプロジェクターを使って映しながら授業を進めるので、それはそれで事前の資料作成に時間がかかります。
 その作業のおかげでわかってきたことの一つは、日本語訳だけを読んでハーンの文学がわかったような気になってはいけないということです。これは当たり前のことなのですが、ハーンの場合には、とりわけ日本に関する作品に関して、それらが一見するとこなれた美文に訳されていることが特に問題になります。はっきり申し上げますが、現在最も広く流通しているであろう廉価な翻訳には、肝心なところに間違いがあって、その中には、単に語学的な問題ではなく、訳者の作品理解の程度を疑わせる体のものもあるのです。
 ちょっと皮肉な言い方になりますが、我が日本学科の学生たちには、まったく日本語訳を介さずに、最初から英語原文を読むことでハーンの作品世界に入り込むことができるという幸運が与えられています。