内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

神秘的雰囲気を醸成・瀰漫させている諸要素の抽出としての風景描写 ―ラフカディオ・ハーン「杵築」の一文をめぐって

2018-09-12 23:59:59 | 読游摘録

 昨日の記事で取り上げた「杵築」と「東洋の第一日目」(« My First Day in the Orient »)とを今年度前期修士一年の演習のメインテキストとして選んだ。
 今日がその演習の初日だった。一通りラフカディオ・ハーンの人と作品について説明した後、昨日の記事と同じように、「杵築」の原文、仏訳、日本語訳二つを縦に並べてスクリーン上に投影して、原文と日本語訳との間で正確には対応しない語があることを指摘した。
 二組の不対応がある。一つは、原文では « land » なのに(仏訳では « pays »)、二つの日本語訳ではそろって「山並み」という語がそれに充てられている。もう一つは、原語は « flood » なのに(仏訳では « flots »)、二つの日本語訳では、それぞれ「湖面」「湖水」になっている。いずれの場合も、原語にはそのような意味はない。
 なぜ訳者たちはこれらの語を選択したのか。それは、彼らが実際の風景を見て知っており、それにふさわしいより「正確な」風景描写になるようにという「配慮」をしたからだろうと思われる。
 だが、この「配慮」はハーンの意図に反しているのではないだろうか。なぜなら、ここの描写は、神秘的な風景の全体を、陽の光によって包み込まれた、動かぬ陸地と水の流れというより抽象度の高い静と動との対比的構図として描き出そうとしているからである。実際に見た山並みや湖をどう描写するかが問題ではないからこそ、« land » と « flood » という語が選択されていると考えられる。とすれば、この文は、実際に見た風景の「忠実な」再現を目指しているのではなく、その風景に神秘的な雰囲気を醸成・瀰漫させている自然の諸要素を一定の構図のもとに抽出しようとしていると読むべきだということになる。