内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

大地を遍く照らす太陽の下、生きとし生けるものの歓喜や悲痛と共振するもの ― ラフカディオ・ハーン「盆踊り」の最終節から

2018-09-13 23:59:59 | 読游摘録

 ラフカディオ・ハーンの「盆踊り」という作品の最終節に、感動(emotion)についての短いがとても意味深い考察が示されている。
 盆踊りのときに聞いた村娘たちの合唱が己の裡に呼び起こした曰く言い難い感動はいったいどこから来るのかとハーンは自問する。それは、聞き慣れた西洋のメロディが呼び起こす感情(feelings)とは違う。それなら、過去の全世代から受け継がれてきた母国語のように、なじみのある感情(sensations)であり、言語化できる。しかし、西洋の歌とはまったく異なる節で自分には意味がわからない異言語で歌われた歌が呼び起こした感動(emotion)は、同じような仕方では言語化できない。

 And the emotion itself — what is it? I know not; yet I feel it to be something infinitely more old than I — something not of only one place or time, but vibrant to all common joy or pain of being, under the universal sun. Then I wonder if the secret does not lie in some untaught spontaneous harmony of that chant with Nature’s most ancient song, in some unconscious kinship to the music of solitudes — all trillings of summer life that blend to make the great sweet Cry of the Land.

 ハーンは、 « emotion » を « feelings » や « sensations » から区別している。後ニ者は、言語化可能であるか、あるいは、その発生の時と場所、そして原因も特定できる。ところが、前者はそうではない。何なのかわからない。しかし、それは、大地を遍く照らす太陽の下、生きとし生けるものの歓喜や悲痛と共振するものではないのか。
 村娘たちの素朴な合唱に言い知れぬ感動を覚えたのは、それが大自然のもっとも古い歌と誰に教わることもなく調和していたからではないのか。さびしい野辺の歌や、大地のこの上なく美しい叫びを生み出す夏虫たちの合唱と、知らず知らずのうちに血脈を通わせているからではないか。そこにこそ、あの歌が呼び起こした感動の秘密があるのではないか、そうハーンは自問する。