新学年開始に合わせて辞書類などが一斉に刊行され書店の店頭に並ぶのはフランスでも毎年のことである。
昨年五月に Honoré Champion 社から出版された Dictionnaire de l’autobiographie. Écritures de soi en langue française のコンパクト版がつい数日前に発売された。値段は前者の65€に対して28€とお安くなっていて、学生たちにはそれだけ購入しやすくなっているわけだが、その分活字も小さくなっており、眼の弱くなった老人にはかなり読むのが辛い。
それはともかく、844頁の中によくぞまあここまでいろいろ盛り込んでくれたものだと感心するほどの内容の充実ぶりである。フランス語で書かれた自伝・日記・回想およびその他の自己記述に関して、本辞書の編集委員の一人である Philippe Lejeune の Pacte autobiographique が1975年に出版されて以来今日までの四十年余りの研究成果がこの辞書には凝縮されていて、総勢二百名を超える執筆協力者を動員して作成された諸項目は、研究の手引きとして重宝するばかりでなく、読み物としても大変興味深い。
項目として、人名・作品名とともに事項名も少なからず並んでいて(Facebook と Famille とが隣り合わせになっている)、それらがそれぞれその事項に即しての研究領野の見取り図を描き出していて(大項目の場合は、数節に分けられている)、いろいろと考えるヒントを与えてくれる。
例えば、« Temps »(時間)という大項目(執筆担当者は Michel Braud)は、導入節の二段落の後が五節に分かれている。その第二節が « Kairos et chronos » である。その内容を要約すれば以下の通りである。
十八世紀後半以降、フランス語圏では、個人的な時間の書記形態は、二つの互いに競合する形態に分かれる。前者が回顧的な自伝によって代表され、後者が日々の記録としての日記によって代表される。前者がある時の一点から見て統合的に一つの意味をもった全体として自己によって生きられた時間を把握しようとするのに対して、後者はその都度その都度の記述をただ時間の流れに沿って並置していくだけで、全体に整合性を事後的に与えようとはしない。前者がカイロス(意味をもった時)、後者がクロノス(流れる時間)にそれぞれ対応する。
この項目を一つの出発点として、カイロスとクロノスとの関係について、明日の記事から何回か哲学的に考察してみよう。