内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

カイロスとクロノス(6)― 捉えられたクロノスとしてのカイロス

2018-09-20 21:08:35 | 哲学

 アガンベンの『残りの時』「第四日目」の「カイロスとクロノス」と題された節に今日はほんの一瞥を与えるだけの時間しかない。
 ヒポクラテスを引用しながら、アガンベンは、一般に強調されることが多いカイロスとクロノスとの対立や異質性ではなく、むしろ両者の不可分な関係性を強調する。
 カイロスは、適切に捉えられた時機(occasion)であるとしても、カイロスにとってクロノスとは別の何か特別な時間があるわけではない。私たちがカイロスを捉えたときに捉えてるのはクロノスと別の時間ではない。ただ、それは縮約されたクロノスなのだ。
 救世主の到来による癒やしは、たしかにカイロスにおいて起こる。しかし、このカイロスは、「捉えられたクロノス」にほかならない。時機の環のうちに嵌入された真珠は、クロノスの小片、まだ残っている僅かな時間にほかならない。
 だから、救世主が到来する世界はこの世とは別の世界のことではなく、この世俗世界のことにほかならない。ただ、そこには、ごく僅かな移動、ほんの僅かな差異がある。この小さな違いとは、私が時系列に沿った時間に対して捉えた私の「ずれ」のことだ。これが決定的に重要なのだ。