毎年3年生の「近代日本の歴史と社会」の授業で Rémi Brague の Au moyen du Moyen Âge の何箇所かを紹介する。その一つが « Les leçons du Moyen Âge » と題された文章の結論部である(この結論部は2013年8月9日の記事に私訳を載せてある)。
ブラッグが問題にしているのはヨーロッパ文化の源泉はギリシアとイスラエルというヨーロッパの外部にあるということだが、日本文化の中国文明・文化に対する関係にも同様なことが言えるだろうか、というのが私から学生たちへの問いかけである。
ギリシアとイスラエルが地理的にヨーロッパの外であると言ってよいならば、中国大陸は明らかに日本の外である。しかし、文明史・文化史において、どこまでヨーロッパと日本の対比が可能であろうか。日本には中国文明の影響下に入る前に縄文時代という長い歴史がある。これはヨーロッパにはない。
外なる源泉への回帰によって自文化を更新するという経験は日本人もしてきた。例えば、江戸時代の伊藤仁斎の古義学と荻生徂徠の古文辞学は、孔孟のテキストに立ち帰ることで新たな読みの方法を確立した。本居宣長は方法の点において徂徠から学んでいる。一言で言えば、外なる源泉へ回帰しそこから学び直す方法の確立が学問を更新したのであり、近代的学問の方法を準備した。
今また外なる源泉へと立ち戻り謙虚に学び直すことで、私たちは新しい学問の方法を見出すことができるだろうか。閉塞した現在の中で未来への道を見出すことができるだろうか。
遥か彼方の外なる源泉に未来への出口の鍵が用意されているわけではないとしても、源泉から学び直すという謙虚な姿勢を開かれた心で共有することができれば、そのこと自体が未来への希望でありうるのではないだろうか。