内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ロンドンの霧の美はいつ誰によって発見されたか ― オスカー・ワイルド『インテンションズ』より

2022-09-28 23:59:59 | 読游摘録

 学生たちが中井正一の『美学入門』を読んで興味をもった箇所の一つは、中井がオスカー・ワイルドに言及しつつ、風景の美は画家や詩人の作品によって発見され創造されたものであり、それ以前には存在しなかったと言っている以下の箇所である。

彼の評論集『インテンションズ』の中にある言葉であるが、その中に「芸術は決して自然の模倣でない。むしろ自然が芸術の模倣である。一体自然とは何であるか、自然はわれわれを生んだところの大いなる母親ではない、自然はわれわれの創ったものである。」というような言葉がある。
 ワイルドがいうには、ロンドンは実に霧が深い、電車も止まり、馬車も止まる、この霧は、近代画家、例えばターナーのような画家がこれを描いて、初めて、この霧は風景として、人間の前にあらわれたのである。それまでは、霧の美を人々は見なかった、ただ困ったもんだと思っていた。ところが、画家に描かれて初めて、美しい霧として、ロンドンの霧が人間の前にあらわれたのである、だから、自然が、芸術を模倣して、初めて自然の美というものになったのであると考えるのである。(中公文庫版、109‐110頁)

 これは、ワイルドの批評論集 Intentions (1891) の巻頭に収められた対話篇 « THE DECAY OF LYING: AN OBSERVATION » (1889) の中で、対話者の一人 Vivian が « Nature is no great mother who has borne us. She is our creation. » という自分の主張の例証の一つとしてロンドンの霧を挙げている一節を念頭において書かれた箇所である。当該箇所の原文は以下の通り。

Vivian. Certainly. Where, if not from the Impressionists, do we get those wonderful brown fogs that come creeping down our streets, blurring the gas-lamps and changing the houses into monstrous shadows? To whom, if not to them and their master, do we owe the lovely silver mists that brood over our river, and turn to faint forms of fading grace curved bridge and swaying barge? The extraordinary change that has taken place in the climate of London during the last ten years is entirely due to a particular school of Art. You smile. Consider the matter from a scientific or a metaphysical point of view, and you will find that I am right. For what is Nature? Nature is no great mother who has borne us. She is our creation. It is in our brain that she quickens to life. Things are because we see them, and what we see, and how we see it, depends on the Arts that have influenced us. To look at a thing is very different from seeing a thing. One does not see anything until one sees its beauty. Then, and then only, does it come into existence. At present, people see fogs, not because there are fogs, but because poets and painters have taught them the mysterious loveliness of such effects. There may have been fogs for centuries in London. I dare say there were. But no one saw them, and so we do not know anything about them. They did not exist till Art had invented them.

 因みに、柄谷行人は『近代日本文学の起源』(1980年)の中の第一章「風景の発見」(初出『季刊藝術』1978年夏号)の中で、「私の考えでは、「風景」が日本で見出されたのは明治二十年代である。むろん見出されるまでもなく、風景はあったというべきかもしれない。しかし、風景としての発見はそれ以前には存在しなかったのであり、そう考えるときにのみ、「風景の発見」がいかに重層的な意味をはらむかをみることができるのである。」と述べているが、これはワイルドとほぼ同様な主張である。ところが、同書には、漱石に言及するくだりでロンドンという都市名が五回出て来はするが、ワイルドのワの字も、ましてやロンドンの霧の話は出てこない。