内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

寒春雑記

2023-04-20 23:59:59 | 雑感

 この春は寒い。もう四月も下旬だというのに、朝方三度、午前中はせいぜい十度前後までしか気温が上がらない。晴れていても曇っていても気温はさほど変わらない。雨も時々降る。春雨には違いないが、温みは乏しい。午後、晴れ間が広がっても十五度くらいまでしか上がらない。
 真冬の寒さに比べればなんでもない。でも、来てほしい春が来てくれない恨めしさか、ひどく寒く感じる。街中や公園の樹々には、花が咲き、新緑が広がりつつある。が、どこか寒々しい。
 今日の記事のタイトルにある「寒春」という言葉は気象用語としては使われるようだが、あまりお目にかからない。「かんしゅん」という、ちょっと硬い音の響きが今の天気に合っているように思う。私的語感に過ぎないが。
 「春寒」(はるさむ)は春の季語。角川ソフィア文庫の『俳句歳時記 春』には、「立春後の寒さ。余寒と同じであるが、すでに春になった気分が強い。」とある。同じ項に「料峭」(りょうしょう)が関連語として挙げてある。「春風が冷たく感じられること」で、これは今ストラスブールに吹く風にぴったりとくる。
 ジョギングには好適とも言える。一月下旬に転んで肋骨に罅が入り、二日間休んで以降、一日だけウォーキングのみにしたが、それ以外は毎日走っている。
 ただ、この二月余りの間、走っているとき、心臓部位に若干の圧迫感があったり、軽い目眩に襲われたり、それ以前にはまったく経験したことのない変調を感じることがあった。そういうときは、走るのをやめ、歩く。歩きながら、様子を見て、違和感がなくなればまた走り出す。調子がいいときは、十二、三キロ休まず走ってもなんの違和感もない。
 一日十キロという原則は守っている。それどころか、この二ヶ月で三十キロ以上の「貯金」ができている。が、速度は落としている。それでいい、と思っている。心身のバランスが第一。数値的な記録向上など今更目標にはならない。無理して体を壊すのは愚かである。
 来週は春期休暇。月と金には授業のない私にとっては明日金曜日から五月一日の月曜日までの十一日間休める。天気予報によれば、今週末と来週後半はこの季節に相応しい陽気になるようだ。花咲き新緑匂う春の温みの中、ゆるゆると走りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


修士一年の演習で大森荘蔵の「虚想の公認を求めて」を読んでみたら

2023-04-19 23:59:59 | 講義の余白から

 毎年、修士一年後期の近現代日本思想史の演習で取り上げるテキストの選択には悩まされる。原則として仏訳のあるテキストは避ける。日本語としてあまりにも難しすぎるテキストも避ける。二時間の演習六回で読み終えられるようにできるだけ短いテキストを選ぶ。この最後の条件は、一つのテキストをまるごと読んだという達成感を学生たちが得られるようにするためで、特に大切にしている。が、それが選択を難しくもしている。
 昨年暮に十ほどのテキストを候補に上げて、さんざん迷った挙げ句、大森荘蔵の「虚想の公認を求めて」(初出、岩波書店『思想』1975年4月号。翌年、『物と心』、東京大学出版会、1976年に所収。2015年、同書はちくま学芸文庫の一冊として刊行される)にした。文庫版で30頁ほどで、これなら全文読める。十年ほど前にパリのイナルコ(INALCO)で「現代思想」という講義を担当していたとき、毎年一回は大森荘蔵の紹介にあてていたのだが、概して学生たちの受けが良かったことも今回の選択の理由の一つであった。
 この選択は「当たり」であった。これはイナルコでもそうだったのだが、日本語を二、三年勉強した学生たちにとっても、構文的にはさしたる困難もなく読めることが、哲学のテキストに対する先入観、拒否反応あるいは「恐れ」(それまで見たこともないような漢語やカタカナ言葉がやたらに出てきて、何を言っているのかさっぱりわからない文章が延々と続く、みたいな)を読みはじめてすぐに解除してくれるのだ。
 もちろん、大森の奇妙な造語や言葉使いには戸惑わされることはあるが、日常の経験や身近な事例に即して大森が展開する(ときによっては執拗に繰り返す)議論の中にさしたる言語的障害を感じることなしに入っていけることが学生たちにとってまず一つの新鮮な学習経験になる。テキストを交代で音読させ、私が解説する。その解説を聴きながら、彼らが自分の頭で考え始めているのが授業中によくわかった。
 今日が演習の最終回で、学生たちに短い発表をしてもらった。病欠一名を除く八名が発表した。その発表がどれも予想以上によい出来だった。発表テーマ選択の条件として、大森のテキストから一つだけ問題点を取り出し、それに関して大森が挙げているのとは別の例・経験・事象を選び、それに即して大森の虚想論を展開、応用、あるいは批判するように学生たちには伝えてあった。
 学生たちが選んだテーマは、他者の顔の認識と虚想、言語による知覚の変容、痛みとその言語表現の関係、触覚と嗅覚おける虚想と視覚における虚想との不一致、騙し絵と奥行き知覚における虚想の働き、乳幼児の認識能力の発達過程における虚想の変容、知覚と虚想がそこにおいて働く環境の諸条件が虚想の変更訂正に及ぼす影響、一九七〇年代の行動主義批判というコンテキストのなかで提起された運動認識理論と虚想論との類比と対比。欠席した学生が選んだテーマは、虚想と独我論だったが、春休み明けの二週間後に発表してもらうことにした。
 いずれの発表も、学生たちが大森のテキストから刺激を受けて自分で問題を考えようとしたことをよく示していた。とても日本学科の学生とは思えない(妄言多謝!)哲学的思考を展開してくれて、聴いている私にとっても大変示唆的な指摘や疑問がそれぞれに含まれていた。
 学生たちにあらかじめ送るように言ってあったテーマと要旨を読んだ段階ですでに期待できる内容だったので、演習の締めくくりとして春休み明けに教室での筆記試験を課すという当初の予定を今朝になって急遽小論文提出に変更した。学生たちがそれぞれに掴んだ問題点をその考察の緒を示すだけの五分程度の発表一回で終わらせるのはもったいないと判断したからだ。だから、小論文には、口頭発表の内容をさらに展開させること、という条件を課した。この変更と条件について、学生たち全員、もちろん望むところと言わんばかりに同意してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中江兆民『民約訳解』の仏訳 ― 翻訳を原語に「訳し戻す」試み

2023-04-18 23:59:59 | 講義の余白から

 「近代日本の歴史と社会」で自由民権運動を取り上げるとき、中江兆民の『民約訳解』の話を少しする。これがルソーの『社会契約論』の第一編と第二編のみの部分訳であることはよく知られている。兆民は1874年に一旦日本語に訳したが、1882年から1883年にかけて漢文に訳し直し、これが『民約訳解』の名で出版され、日本だけでなく中国でも知られるようになる。この訳業がどれほどのインパクトを当時の知識人に与えたのか、そう簡単には答えられないようだが、今日のルソー研究者たちから見ても、その訳業と注解には傾聴すべき解釈と見解が示されているという。
 私が授業で取り上げるのは次のほんの短い一節のみだが、そこにも兆民独自の解釈が示されている。漢文訓読体で引く。その後に仏語原文を引く。

此の約に因りて得るところ、更に一あり。何の謂いぞ。曰く、心の自由、是なり。夫れ形気の駆るところと為りて自から克脩することを知らざる者、是れ亦た奴隷の類のみ。我より法を為り、而して我より之に循う者に至りては、其の心胸綽として余裕あり。然りと雖も、心の自由を論ずるは理学の事、是の書の旨に非ず。議論の序、偶たま此に及ぶと云うのみ。

『民約訳解』「人世」

On pourrait, sur ce qui précède, ajouter à l’acquis de l’état civil la liberté morale qui seule rend l’homme vraiment maître de lui ; car l’impulsion du seul appétit est esclavage, et l’obéissance à la loi qu’on s’est prescrite est liberté. Mais je n’en ai déjà que trop dit sur cet article, et le sens philosophique du mot liberté n’est pas ici de mon sujet.

Du Contrat Social, Livre I, chapitre 8, « De l’état civil ».

 注目されるのは、原文の « la liberté morale » を「心の自由」と訳していること、« l’obéissance à la loi qu’on s’est prescrite est liberté » を「我より法を為り、而して我より之に循う者に至りては、其の心胸綽として余裕あり」と訳していることである。「道徳的自由」の訳されることが多いところを「心の自由」とし、ある現代語訳では「みずから定めた法に服従するのが自由だ」と訳されているところを「心綽として余裕あり」とすることで、自由を心の内面の自由として兆民が捉えていることがわかる。
 ルソーの原文では、社会状態によって新たに獲得されるものとして道徳的自由が加えられている。つまり、社会的存在としての自由なのだ。ところが、兆民はその自由を内面の自由として捉えている。社会で生きる個人が自律的であることによってその社会に対して自由と独立を確保できるというのが兆民の解釈だと読める。
 この『民約訳解』をフランス語に「訳し戻す」という珍しい試みが2018年に出版された(Nakae Chômin, Écrits sur Rousseau et les droit du peuple, Les Belles Lettres)。訳者の一人とはシンポジウム等で何度も一緒になったことがある旧知の仲である。その仏訳によると、「心の自由」はルソーの原文通り « la liberté morale » と訳し戻されているが、上に示したもう一つの箇所は、 « En me donnant des lois et en les observant, j’acquiers une grande âme et un cœur généreux » と兆民の訳文にできるだけ忠実に訳そうとしている。
 それだけルソーの原文からは離れるわけだが、兆民独自の解釈は前面に打ち出されることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


たおやかにして凛とした ― エスメ弦楽四重奏団演奏・チャイコフスキー弦楽四重奏曲第一番第二楽章「アンダンテ・カンタービレ」

2023-04-17 00:00:00 | 私の好きな曲

 今日の記事、カテゴリーとしては「私の好きな曲」のなかに入れましたが、実のところは、私の好きな演奏、いや、つい最近好きになってしまった弦楽四重奏団の話です。
 自分で選曲せずにストリーミングで受動的に聴くことの利点は、曲と演奏家たちに先入観なしに出会えることです。直前の曲は、別の作曲家の作品の別の演奏家の演奏ですから、いつも「出会いは突然に」やってきます。
 エスメ弦楽四重奏団との出会いもそうでした。曲はチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第一番第二楽章「アンダンテ・カンタービレ」。曲が流れ始めてすぐに、ただ直感的に、「ああ、これはいい演奏だ」と感じたのです。今日の記事のタイトルにも使った言葉ですが、たおやかで凛としているのです。曲を慈しみ、丁寧に織り上げられた上等の絹織物のような演奏、と言ったらいいでしょうか。
 演奏を堪能してから、エスメ弦楽四重奏団についてネットで検索してみました。2016年にケルン音楽大学で結成された韓国出身の女性四人組で、2018年にはウィグモア・ホール国際弦楽四重奏コンクール優勝をはじめ四つの賞に輝くなど、ヨーロッパ各地のコンクールで高い評価を得ているとのこと。この四人、幼なじみなんだそうです。
 楽団名の Esmé は、フランス語の女性名にあり、もともとは英語名から来ています。さらに語源を辿ると、ラテン語の amatus にまで遡り、その意味は「神々に愛されたる者」です。彼女たちはまさに音楽の女神に愛されているのかも知れませんね。
 本曲が含まれるアルバムには、まずモーツアルトの『不協和音』が収録されており、これもとても良い演奏です。チャイコフスキーの後には、朝鮮半島伝統の二胡であるヘグム(奚琴)の名手スヨン・リューが、2016年にクロノス・クァルテットのために書いた「Yessori」という曲の弦楽四重奏版が最後に収録されています。この曲、今回はじめて聴いたのですが、深い情念がこもっていて不思議な魅力をもった曲ですね。演奏も秀逸です。
 彼女たちのデビュー・アルバムは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第一番、英国の作曲家フランク・ブリッジ(1879‐1941)の「3つのノヴェレッテ」、そしてドイツで活躍する韓国の女性アーティスト陳銀淑(チン・ウンスク)による前衛的な作品という、個性の全く違う三曲によって構成され、いずれも秀演。ナクソス・ジャパン提供の紹介記事には、「高い技術力と豊かな歌心に支えられた、丁重な表現が彼女たちの持ち味。若々しさと奥深い音楽、個性的な魅力に溢れた素晴らしいアルバム」とありますが、決して誇張ではないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


植木枝盛の「万国共議政府」構想を支える二つの原理 ― 小国自治主義の原理と民主原理

2023-04-16 00:00:00 | 読游摘録

 植木枝盛が「無上政法論」において展開した万国共議政府の構想を支える二つの原理、小国自治主義と民主原理について、色川大吉『自由民権』第三章「二つの防衛構想」の説明を順に見ていこう。 
 その説明は同章の「2 集団安全保障の道」に見られる。タイトルからだけでも推測できるように、そこで取り扱われているテーマは現代の私たちにも切実な問題であり、植木の議論から学べることは少なくない。ただし、そこには色川の解釈も交えられていることには注意する必要がある。
 世界最高憲法を定め、万国共議政府を設置して、侵略の心配が少なくなれば、どんな利益があるか。この問いに対して植木は次のように答えている。「すなわち天下の各国皆自由にその国を小分するを得べし。これ一の大利益なり。」国土を小さく分割できるようになれば、ますます人民の自由は進み、「代議政体を一変してこれを直与政体に改むることをも得べきなり」というのが植木の考え方である。この小国主義は中江兆民も主張している。この小国主義は、植木が「日本国国憲案」(一八八一年八月)の中で提示した、七〇の独立した州政府の連邦としての日本という構想へと発展する。
 この小国主義について一言私見を述べる。
 政治への国民の直接参加を促す点は、確かに小国主義の利点と言えるだろう。しかし、日本に限らず、この小国主義は現代の世界ではほぼ実現不可能だ。仮にそれがどこかで実現できたとしても、明治前期には存在しなかったエネルギー問題や環境問題に対してはその解決の大きな障害となりかねない。小国間の利害の対立をどう調整するかという問題が必ず発生するからである。連邦政府が小国家的単位を超えて、諸国に共通する問題、あるいは一国が原因となっている問題を諸国に共通する問題として処理できるか、これはきわめてデリケートな問題で、連邦政府が強権を発動すれば、それは小国主義自体の否定をもたらしかねない。
 第二の原理、民主原理は以下の認識に基づいている。政府(権力)はもともと悪をなすものだから、人民がたえず監視し、批判し、抑制していなければ、たちまち圧政に変じる。つまり、本来的に悪である政府に対しては、抵抗権こそ人民の基本権であって、抵抗権のない自由や民主主義は画餅に過ぎない。政府への批判を保障する言論の自由が、民主主義実現の絶対条件だという植木の主張もそこから来ている。
 人民の側に政府に対してのこうした冷徹な認識、そして政府からの抑圧に対して言論の自由を擁護し続ける持続的な抵抗の精神のないところに民主主義は成立し得ない。この民主主義の成立不可能性は現代日本がそれを「見事に」実証している。こう言えば、言い過ぎになるだろうか。
 当時の民権家についての色川の考察に耳を傾けよう。

当時の民権家は現代人のように組織とか制度とかを信じていない。それらは「人民の自主の元気」が旺盛なときにはじめて利点を発揮できるものだが、その元気の薄れたときはたちまち形骸化し、かえって人民を圧制する道具となる、そういう醒めた認識が彼らにはあった。

植木は人民の自治がもっとも実現されやすい「小国」尊重を基礎に、あくまでも人民の元気(人民の創造力)を根源的な保障として把握し、その上に世界最高憲法や共議政府(機構)を構想したのである。明治国家の枠組をやぶった大胆かつ奔放自由な思考というべきではないか。

さいごにこの共議政府によって、「天下各国みなその兵備を減少」させることができれば、ついには軍備を全廃する道もひらけよう。社会の福祉を増すこともできよう。そしてそれは、「人間をして殺伐の気風を除減し……その品等を上昇せしむるに至るべし」。そしてはじめて、人類はその文化的創造力をこの地上に開化させることができるようになろう、と結んでいる。

こうした自由な構想もそれを支えていた民権運動の敗退によって、いちじるしく可能性の幅をせばめられていった。

 一八八四年以降、民権家の大部分は「脱亜論」的な言説に与するようになり、国権優先の国家主義的な潮流に巻き込まれていく。明治国家の軍備拡張、大陸進出政策に同調する言動が公然と現れる。この激流のなかで、植木や中江兆民に代表される小国論派はあきらかに孤立する。
 こうした民権論退潮と天皇制支配体制の強化という歴史的文脈のなかで兆民の『三酔人経綸問答』は書かれた。
 慧眼なる読者諸氏はすでにお気づきのことと拝察いたしますが、昨日今日の記事は、来週火曜日の授業のための講義ノートでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


色川大吉の古典的名著『自由民権』(岩波新書)紙版はなぜ品切れのままなのだろうか

2023-04-15 03:30:54 | 読游摘録

 いつからなのか知らないし、近々新しい刷が出るのかも知れないが、自由民権運動史の古典的名著である色川大吉の『自由民権』(岩波新書、1981年)の紙版が品切れのままである。私が所有しているのは電子書籍版で、2015年9月18日発行の第9刷に基づいている。
 『自由民権運動 〈デモクラシー〉の夢と挫折』(岩波新書、2016年)の著者、松沢裕作氏も同書の「文献解題」の中で、色川書について「自由民権運動史の古典であり、いまなお学ぶべき点は少なくない」と評価しており、色川書から「とりわけ結社の歴史的意義を強調する視点」を継承していると明言されている。理由は詳らかにしないが、こういう基本図書の紙版は常に入手可能であってほしいものである。
 ついでだが、笠松宏至の名著『徳政令』(岩波新書、1983年)も品切れのままだったが、昨年、講談社学術文庫の一冊として復刊された。原本が岩波新書として刊行され、講談社学術文庫として復刊されたケースが他にあるのかどうか知らないが、あまり多くはないのではないだろうか。他社からの復刊でも、読む方としては一向にかまわないし、新たに付された解説が有益な場合もある。が、岩波新書のロングセラーは同社から出し続けてほしいなあと長年同新書のお世話になってきた身としては密かに願っている。
 さて、自由民権運動の思想的リーダーといえば、教科書や一般的な参考書には植木枝盛と中江兆民の名が必ず挙げてある。色川書にも両者の思想について少なからぬ頁が割かれている(ちなみに、上掲の松沢氏の本には、中江兆民の名がいっさい出て来ない。テーマへのアプローチの仕方の結果といえばそれまでだが、一言の言及もないのがちょっと気になる)。
 色川書に「寛容」という言葉が使われている箇所があるかと検索してみたら、一箇所だけヒットした。植木枝盛の万国共議政府論に言及している箇所である。
 この論には西欧に先蹤があるとはいえ、今から百四十年前、当時日本が置かれていた国際政治的に厳しい状況の中で打ち出された植木の万国共議政府の構想は今でも傾聴に値する。植木や兆民について、色川は、「植木や中江ら日本の民権家たちは、目の前のきびしいアジア情勢と政府の軍事化路線とのはざまに立って、それらの理想主義[十七世紀のサン・ピエールの恒久平和論、十八世紀のカントの世界平和思想、十九世紀スイスの万国平和会を指す]を少しでも現実に近づけようと悪戦苦闘したのである。」と高く評価している。
 色川によれば、植木が「無上政法論」(初出、愛国社の機関誌『愛国志林』1880年3‐8月、その三年後の1883年に単著『通俗無上政法論』として刊行)の中で唱える万国共議政府は現代の「国連以上のもの」である。
 その構想において、万国共議政府は各国の主権の一部を制約する力を有する。つまり、各国間の紛争時にその解決のために介入することができる。例えば、大国が小国を不当に圧迫するようなとき、共議政府はその訴えを受けて、不正な国家に集団で制裁を加えることができる。一方、「共議政府に対して敵対するものは処分するが、その国を没収するようなことまではしない。寛容を主とする。」と、ここで「寛容」が出てくる。
 「共議政府は各国の内政に干渉はできないが、未開国や発展途上国を保護し、国の独立を求める人民には援助をあたえる。」
 確かに、このような万国共議政府の諸権能は現在の国連の実質的な機能を超えている。そして、その実現は、当時同様、いやそれ以上に、現在困難になっている。
 この共議政府は、小国を統廃合した世界市民の「世界国家」とはまったく異なっている。なぜなら、次の二つの原理の上に成り立っているからである。(一)小国自治主義の原理と、(二)「世に良政府なるものなし、人民ただこれを良政府とならしむるのみ」とする民主原理である。
 この二つの原理それぞれについて、明日の記事で、色川書の解説に依拠しながら少し考えてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


寛容再論ための予備的考察

2023-04-14 12:08:19 | 講義の余白から

 来週の「近代日本の歴史と社会」では、自由民権運動と中江兆民の思想を取り上げる。当初の予定では、今週と来週の二回に亘って取り上げるつもりだった。しかし、先週の授業で石川榮吉の『欧米人の見た開国期日本』の「おわりに―異文化理解への心得」を学生たちと読んでいて、問題への学生たちの関心の高さが強く感じられたので、今週の授業では、「自己認識の方法としての異文化理解」(2015年1月6日の記事から8回に亘ってこのテーマについて書いている)と「〈和〉でもなく〈寛容〉でもなく」(寛容については度々取り上げているが、特に、2014年2月8日同年9月19日2016年12月1日2019年1月12日の記事を参照されたし)という、私が過去に何度も講演や授業で取り上げきたテーマに差し替えることにした。この二つのテーマを取り上げたのは、石川書の「おわりに」の最終段落の後半の次の一節との関わりにおいてである。

もともと異文化理解など出来なくて当然なのかもしれない。それでなおかつ異文化間の協調を保つためには、世間は他人ばかりであるのと同様に世界は多様な異文化の集合体であることを承知したうえで、己の文化、己の価値観を絶対視して異文化を評価することをせず、ましてや己の文化や価値観を相手方に強要することなく、異文化を異文化として容認する 寛容さこそが肝要であろう。そのうえで押しつけではない協調点を探ることが国際交流とか国際化の前提である。世界の諸文化の画一化が国際化なのではない。画一化はむしろ人類文化の衰退である。

 この一節をまず読んだ後、寛容について、レヴィ=ストロースの『人種と歴史』(Race et histoire, Gallimard, coll. « folio essais », 1987)の最終段落に出てくる「動的態度としての寛容」を参照した。

La tolérance n’est pas une position contemplative, dispensant les indulgences à ce qui fut et à ce qui est. C’est une attitude dynamique, qui consiste à prévoir, à comprendre et à promouvoir ce qui veut être. La diversité des cultures humaines est derrière nous, autour de nous et devant nous. La seule exigence que nous puissions faire valoir à son endroit (créatrice pour chaque individu des devoirs correspondants) est qu’elle se réalise sous des formes dont chacune soit une contribution à la plus grande générosité des autres.

 その上で、自己認識の方法としての異文化理解という方法論と西洋起源の「寛容」論批判を展開した。この二つのテーマについては、上掲の参照記事に私の言いたいことはほぼ尽くされているので、ここには繰り返さない。寛容論は、今後、渡辺一夫の『ヒューマニズム考』を介して、カルヴァンとモンテーニュと対話しつつ展開するつもりでいる。
 中江兆民の思想との関連では、問答・座談という思想表現形式の可能性の条件としての寛容というテーマを来週の授業で取り上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


数学の哲学における自覚と行為的直観

2023-04-13 23:59:59 | 哲学

 今日、授業を終えた後、ロレーヌ大学の数学の哲学の教授で、同大学に付属するアンリ・ポアンカレ・アーカイブ(Archives Henri-Poincaré)の所長でもあるアラナ教授と会った。キャンパス付近の小さなカフェで一時間あまり歓談する。教授がなぜ西田哲学に関心を持つようになったか、その経緯を聴く。竹内外史の数学基礎論にかねてより関心を持ち、研究を続けていく中で、竹内が京都学派の数理哲学、わけても西田哲学から何らかのインスピレーションを受けているのを知って、今では西田哲学に強い関心を抱いているという。すでに日本人研究者と共同で、竹内と西田との関係について論文も発表している。彼が特に関心を持っているのは西田の「自覚」だという。そして、「行為的直観」にも関心を持ち始めている。
 私は博士論文で最後期の西田哲学におけるこの両概念の区別と関係について詳しく論じており、教授の関心と重なるところがあることがわかった。私は数学の哲学についてはまったくの門外漢だが、自覚と行為的直観は、私自身の哲学研究にとっても根本的な重要性を持っており、数学の哲学において両者がどのような意味を持ちうるのかについては是非知りたい。
 パリに自宅に帰る教授を路面電車の最寄りの駅まで見送る。ストラスブールにはだいたい月一回のペースで来るという教授と再会を約す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鮮烈きわまりないモーツアルト ― ソン・ヨルム演奏『モーツアルト:ピアノ・ソナタ全集』

2023-04-12 01:15:58 | 私の好きな曲

 先週「聖金曜日」(フランスではアルザス・ロレーヌ地方のみ休日)から復活祭の月曜日(Lundi de Pâques)まで四連休だった。といっても、私は後期には金曜日にも月曜日にも授業がないので、個人的には普段と変わりがない。ただ、多くの店が金曜日も月曜日もお休みになる。だから土曜日はいつになくスーパーが混んでいた。
 その四日間、前半は採点に費やされたが、後半は自由な読書ができて楽しかった。ジョギングもいつもより少し距離を伸ばして、毎日12、3キロ走った。家では、映画を観ている間以外、起きている間中、ずっと聴いていた演奏がある。それが今日の記事掲げた、ソン・ヨルム演奏の『モーツアルト:ピアノ・ソナタ全集』だ。先月発売されたばかり。
 例によってストリーミングでクラシックのテーマ別アンソロジーを流しっぱなしにしていた。そうしたら、この演奏が耳に飛び込んできた。どのソナタだったか覚えていないが、とにかく音の美しさ、リズムの溌剌さ、高音の軽やかさと低音の力強さのコントラストの鮮やさ、中音域の音色の多彩さ、おしゃれな装飾音、即興性に満ちた緩急等々、とにかく今まで聴いたことがない躍動感溢れるモーツアルトだった。
 かつてはクラウディオ・アラウの全集をよく聴き、その後はマリア・ジョアン・ピレシュの新旧の録音をときどき聴いた。ここ十年ほどは、たまにいずれかのソナタを聴くことがある程度だった。このソン・ヨルムの演奏で突然目を覚まされたかのように、モーツアルトのピアノ・ソナタの魅力を再発見できた。全曲「ブラボー!」の一語に尽きる。
 録音もきわめて優秀。少し躊躇したが、よりよい音質で聴きたいので6枚組のCDも買った。明日届く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鴎外とサフラン、そしてモンテーニュを少々

2023-04-11 17:21:09 | 読游摘録

 鴎外の名随筆の一つに「サフラン」がある。「名を聞いて人を知らぬと云うことが随分ある。人ばかりではない。すべての物にある。」と始まるこのわずか数頁の随筆は、しかし、物と名の関係、名前と存在の関係、物と人の関係などについての鋭い観察と深い省察とに裏打ちされている。それが決して表面にあからさまに言い表されることはなく、表面上はもっぱらサフランという草と鴎外との「歴史」である。
 物について書物から得る知識ばかりで、「名を知って物を知らぬ」ままでは、それらの知識は知識として不完全であるどころか、実際の役にはほとんど立たない。そんな無用な知識を塵が積もるように記憶の中に蓄積させてきただけ、それが私の人生なのかもしれない。サフランについては貧弱な知識しかなくても普段の生活に困ることはないが、全体あまりにも物を知らなすぎる、と自分でも思う。
 鴎外は、「宇宙の間で、これまでサフランはサフランの生存をしていた。私は私の生存をしていた。これからも、サフランはサフランの生存をして行くであろう。私は私の生存をして行くであろう。」とこの随筆を結ぶ。確かに、多くの物とは「たまたま行摩の袖が触れ」る程度の関係で終わるのが普通であろう。しかし、それでは済まない物もある。
 もっぱら書物から得ただけで実践には役立たない知識を形容するフランス語は livresque である。これを最初に使ったのはモンテーニュである。もちろん軽蔑語としてである。当時、イタリア語の -esco に倣って接尾辞 -esque を付けて形容詞を作るのが流行っていたらしい。当時としては新造語だったわけである。『エセー』第一巻第二十五章「子供たちの教育について」の中にこの語がでてくる。

Sçavoir par cœur n’est pas sçavoir : c’est tenir ce qu’on a donné en garde à sa memoire. Ce qu’on sçait droittement, on en dispose, sans regarder au patron, sans tourner les yeux vers son livre. Facheuse suffisance, qu’une suffisance purement livresque ! (ボルドー本)

Savoir par cœur n’est pas savoir, c’est tenir ce qu’on a donné en garde à sa mémoire. Ce qu’on sait adroitement, on en dispose, sans regarder au modèle, sans tourner les yeux vers son livre. Fâcheuse suffisance, qu’une suffisance purement livresque ! (現代フランス語表記)

記憶しておぼえているのは、知っていることにはなりません。それは、もらったものを、記憶のなかに保存してあるにすぎません。正しく知っていることならば、お手本を見なくても、書物に目をやらなくても、自由自在に使いこなせます。もっぱら書物にたよった知識力とは、なんとなさけない知識力であることか!(宮川志朗訳)

 まあそうですよね、と納得せざるをえない。が、モンテーニュは書物そのものを否定しているわけではない。彼自身、大の読書家であり、『エセー』はギリシア・ラテンの古典の引用に満ちている。問題は、書物から得た知識をどう生活の中で使いこなすか、ということだろう。