飛騨三十三観音、第32番札所の正宗寺を訪れた。
のどかな田園風景が広がる丹生川町の北方に建つこの寺には、円空作の薬師如来像がある。
寺の奥様の案内で見せて頂いた如来像は、傷だらけで凹凸部分も磨り減って丸みを帯びていた。
像の傍らには、「子供らと遊び薬師は傷だらけ」と書かれた梅原猛の色紙が飾ってあった。
むかし、薬師堂にあった頃は、子供たちがおんぶしたり、水遊びの浮き代わりにして遊んでいたという。
度を過ぎたいたずらで毀損したり、捨て置いたりしない限り、円空仏が事故から守ってくれると信じて、大人たちも大目に見ていたようだ。
この近くの寺にあった「びんずる像」も、病気の平癒を願って、撫でたりさすったりしたので黒光りしてツルツルになっていた。
飛騨の円空仏は、いつも庶民の暮らしの中に溶け込み、今も一緒に生き続けている。
300年以上も散失することもなく、野辺のお堂や農家にあった円空仏が、最近は盗難にあうようになり、おおらかな山里の人たちを驚かせている。
「美術品として鑑賞したり、骨董品として私蔵すべきではなく、円空さんは人々と日常を共にすることが大切である。」と説かれる正宗寺住職の言葉通りの世の中になることを願いたい。
のどかな田園風景が広がる丹生川町の北方に建つこの寺には、円空作の薬師如来像がある。
寺の奥様の案内で見せて頂いた如来像は、傷だらけで凹凸部分も磨り減って丸みを帯びていた。
像の傍らには、「子供らと遊び薬師は傷だらけ」と書かれた梅原猛の色紙が飾ってあった。
むかし、薬師堂にあった頃は、子供たちがおんぶしたり、水遊びの浮き代わりにして遊んでいたという。
度を過ぎたいたずらで毀損したり、捨て置いたりしない限り、円空仏が事故から守ってくれると信じて、大人たちも大目に見ていたようだ。
この近くの寺にあった「びんずる像」も、病気の平癒を願って、撫でたりさすったりしたので黒光りしてツルツルになっていた。
飛騨の円空仏は、いつも庶民の暮らしの中に溶け込み、今も一緒に生き続けている。
300年以上も散失することもなく、野辺のお堂や農家にあった円空仏が、最近は盗難にあうようになり、おおらかな山里の人たちを驚かせている。
「美術品として鑑賞したり、骨董品として私蔵すべきではなく、円空さんは人々と日常を共にすることが大切である。」と説かれる正宗寺住職の言葉通りの世の中になることを願いたい。