旧上宝村本郷にある本覚寺を訪ねてきた。
ここは飛騨三十三観音の第24番札所の寺で、槍ヶ岳を開山した播隆上人が記した「迦多賀嶽再興記」や飛騨史上最大の百姓一揆「大原騒動」で獄門に処せられた本郷村善九郎の墓と寒念仏供養塔がある。
近くの岩井戸集落には、播隆が籠もって修行をしたといわれる「杓子の岩屋」があり、ここから寺へつながる北参道がある。
播隆は、円空が開山したといわれる笠が岳を再興し、永らく途絶えていた登山道を整備して、8体の石仏を山頂までの要所に安置した。
播隆は3度にわたって本郷村を訪れ、円空も152体の仏像を残している。
一所不定の修験僧を温かく受け入れる風土と、寒念仏供養で犠牲者と痛みを分かち合う人情が、今も色濃く残る山里である。
旧上宝村役場の脇には、「ふるさと歴史館」があって、円空や播隆にまつわる資料や、笠が岳で発見された石仏の一部や、僅か18歳の若さで刑場の露となった、善九郎の妻宛の遺書や辞世、最後の様子を伝える記録などの資料が展示されている。
若い妻宛の遺書には、死を覚悟したものの「遠島、追放にも相成り候えば、罷り帰り、御目に懸かり申すべき候・・・」と、心の片隅では死罪を免れ、今一度会いたいと一縷の望みを念じていた心情が涙を誘う。
歴史館は交通の便が悪く訪れる人は少ないけど、村の歴史や暮らしを知る上では欠かせない場所である。
ここは飛騨三十三観音の第24番札所の寺で、槍ヶ岳を開山した播隆上人が記した「迦多賀嶽再興記」や飛騨史上最大の百姓一揆「大原騒動」で獄門に処せられた本郷村善九郎の墓と寒念仏供養塔がある。
近くの岩井戸集落には、播隆が籠もって修行をしたといわれる「杓子の岩屋」があり、ここから寺へつながる北参道がある。
播隆は、円空が開山したといわれる笠が岳を再興し、永らく途絶えていた登山道を整備して、8体の石仏を山頂までの要所に安置した。
播隆は3度にわたって本郷村を訪れ、円空も152体の仏像を残している。
一所不定の修験僧を温かく受け入れる風土と、寒念仏供養で犠牲者と痛みを分かち合う人情が、今も色濃く残る山里である。
旧上宝村役場の脇には、「ふるさと歴史館」があって、円空や播隆にまつわる資料や、笠が岳で発見された石仏の一部や、僅か18歳の若さで刑場の露となった、善九郎の妻宛の遺書や辞世、最後の様子を伝える記録などの資料が展示されている。
若い妻宛の遺書には、死を覚悟したものの「遠島、追放にも相成り候えば、罷り帰り、御目に懸かり申すべき候・・・」と、心の片隅では死罪を免れ、今一度会いたいと一縷の望みを念じていた心情が涙を誘う。
歴史館は交通の便が悪く訪れる人は少ないけど、村の歴史や暮らしを知る上では欠かせない場所である。