名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

円頓寺・新道界隈

2016年11月22日 | 歩く

↑名古屋城外堀
昨夜までの雨は止んで、抜けるような青空が戻り、強い日差しと
南の風が吹いて、晩秋とは思えない穏やかな日和になった。


堀川を幅下橋まで遡って名古屋城外堀まで行き、
新道や円頓寺、四間道などを回ってきた。


久しぶりに新道の菓子問屋街で、袋詰め菓子を買ってきた。


新道は「駄菓子と食玩の街」として栄え、戦前はこの地方だけでなく、
中国や朝鮮まで商圏を伸ばし、戦後の復興も早く駄菓子を仕入れに来た
業者で賑わったという。


名古屋で盛んだった、嫁入りや棟上げなどの菓子撒きが廃れ、
町の駄菓子屋もコンビニやスーパーに主役を奪われ衰退の
一途をたどった。



その象徴とも言われる「中京菓子玩具卸市場」は、100軒の卸問屋で隆盛を誇っていたが、
平成15年に閉鎖され、それを境に歯が抜けるように周りの問屋が消えていった。



それでも生き残った卸市場や、数少ない問屋が、細々と
商いを続けている。


半ば朽ちかけた赤錆の市場は、段ボールに埋まって入り難いが、
中はあられや煎餅、ラムネ菓子、ゲソ焼きなどが山積みされている。


その脇の通り抜け路地の中ほどに、隅田神社が祀ってある。


↑一人がやっと通れる参道

下級武士が内職で駄菓子を作っていた頃から、この街を守ってきたという。

菓子玩具市場の跡地は、老人施設やマンションに変わり、ノスタルジックな
昭和の風景は、遠からず消えていくことだろう。


外堀通りを挟んだ南側が円頓寺や四間道で、先日のパリ祭の
賑わいが嘘のようで、いつもながらの静けさだった。



商店街を一筋入ると、古い町家や蔵が残っている。


↑四間道


↑築200年の商家には屋根神が祀られ、隣はモダンな家が新築中
新旧が混在し、独特の雰囲気が漂う町も、いずれマンションや
モダンな住宅街に生まれ変わっていくのだろうか。


ここの学区の幅下小学校、江西小学校、那古野小学校が
統合して、「なごや小学校」が誕生した。

旧幅下小学校の跡地に、来年の新校舎完成を目指して、
建築工事が進んでいる。

これ以外にも、都心部の小中学校の統廃合議論が進んでいる。
少子化の影響は、駄菓子業界どころではない。


コメント (4)
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