内田樹氏のエッセイで『旦那芸について』に以下のような記述がある。
ここで重要なのは、「自分はついにその専門家になることはできなかったが、その知識や技芸がどれほど習得に困難なものであり、どれほどの価値があるものかを身を以て知っている人々」こそが「まともな玄人」の基盤となるということである。私はその「人々」こそを非実力派と呼びたい。
「まともな演者」「まともな指導者」「まともなショップ」「まともなマジックバー」「まともなクリエイター」などなど・・・。これらを支えるのは、「半玄人」つまりは非実力派なのである。
かくて、非実力派は誇りを持って良い。よき奇術業界を作っているのは我々なのだ。
下手の横好き大いに結構。うまく見せられるかはおいておくが、我々は少しでもよい演技をしようと努力をしたり、収集をやみくもにしたり、整理したり、うまい演技を鑑賞したりすることを通して、「その知識や技芸」が習得に困難なものであることに気づくという「まともな玄人」を支える価値ある人々なのだから。
具体的に言うなら、「私のマジックをみてくれないか」という一言は「まともなマジッククリエイター」「まともなマジックショップ」「マジック指導者」らを支え、「一緒にマジックを観にいかないか」という一言は「まともなマジシャン」「まともなマジックバー」を支えることになるだろう。
「まともな玄人」になれなくても、気にすることなかれ。我ら非実力派は一握りの「まともな玄人」の礎である。非実力派は重要な存在なのだ。
その地位を楽しもうではないか。敬意をもってマジックと触れていこう。
そして、「まともな玄人」たちよ、我らをさげすむことなかれ。汝らの地位は我らが保証するのである。
※『非実力派宣言』は森高千里氏のおそらく造語。彼女の活躍ぶりからして、「非」実力派というのはふさわしくはないので、本書は顰(ひそみ)に倣う形となる。マジックでも手品でなく奇術を使用したのはサブタイトルに当たって、その語で最も適当なサブタイトルが出現したため。サブタイトル「魔術よりも驚愕を 非実力派が魔法に挑む」は講談社のAI編集者相川氏がつけた。ここに謝辞を記すものである。
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