●私が自宅内で最初に飼った猫である。ちなみに茶色と白の猫である。
●当時、飼っていた犬がムサシであったことより命名。
●元は隣家に生まれた猫で4匹の兄弟がいた。
私はその中でも一番不細工な猫を選んだ。近所にいた不細工な猫が父親であるにちがいないし、その不細工な父親猫と思われる猫に愛嬌を感じていたのである。
もっとも、彼は成猫すると、飼い主のひいき目があるとはいえ、かなりの男前の猫となるのだが。
●彼は屋内で飼っていた猫であるが、その冒険心からか、外に脱出することがしばしばあった。
あるとき、近所の外国産の猫と喧嘩をしていたことがある。一方的に負け、悲しいかなフンをもらした。
私の父から笑われ(母はそれをたしなめた)、しばらく外に出ることもなくなり、やっぱり外が恐ろしいのかなどと思っていたが、ある日、突然外へ脱走した。
おそらくだが、あの外国産の猫と戦うためであったのだろう。彼は外国産の猫と戦い、我が家の庭から追い出すことに成功した。
猫がどのような鍛錬の方法を持っているかは、寡聞にして知らないが、おそらくはたゆまぬ努力をしていたにちがいない。
●彼は私たちが拾ってきた茶色と白の雌猫と結婚した。ちなみに拾ってきた理由はコジローに似ていたからである。
彼の妻の名前はトモエとなったが、ここではコジローを中心に語ろう。
●トモエが母の部屋で4匹の子猫を生んだ時に気をつけたのはコジローの母の部屋への侵入であった。
もしも、子猫に危害を加えたら困るからである。何か漫画でそのような事例を読んだのである。
しかし、猫の行動というのは制限できない。子育てに飽きたトモエが外に出るタイミングとコジローが部屋へ侵入しようとしていたタイミングがあってしまったのだ。
コジローが最初にした行動は娘たちを(そう、書き忘れていたが、すべて雌であった)なめてあげることだった。彼には育児の才能があったのである。
乳が出ないことに困っているように見えたが、それ以外はうまく長いしっぽを利用したり、くわえて適当なところ(猫にとっておそらくあるのだろう)に連れていったりして子育てをしていた。
母猫のトモエは乳をあげる以外、子育てをしていないのではないかと思うくらい、ほとんどの育児は彼が行っていた。実に献身的な父猫ぶりであった。
●親子のつながりと、コジローの名猫っぷりを示すエピソードがある。
かなり後になってのことだが、引っ越しをした日のことだ。
猫を逃げられないように一部屋(奇しくも幼き日を過ごした私の母の部屋である)に娘の猫たち全員を閉じ込めていた。
機動力の高いコジローはどんな手を使って脱出するかはわからないので、ペットキャリーに入れて私たちの監視下に置かれていた。
しかしながら、娘の猫たちはたくさんの他人の気配や荷物を動かす音に怯え鳴き続けていた。
そこでコジローを娘の猫たちのいる母の部屋へ入れてみることにした。
さすがコジロー、立派な父猫であった。娘らは彼の周囲に集まり、安心してくつろぎ始めたのである。
泣き続けて疲れたのか、寝始める娘猫もいた。
泰然自若としたコジローに感動しつつ、「偉いぞ、コジロー」と言って抱き上げると、彼はかすかに震えていた。
娘の前では落ち着いていた彼も他人が家の中を歩き回る状況は怖かったのだ。
私は見栄の張り方を彼から習ったと思う。これは過言ではない。
●彼は付き合いの良い猫であった。
私が昼寝したときに彼の手を握っていたのだが、3時間ほどたっても、その手を振り払っていなかった。
一緒に寝ていてくれたのだ。しかも、ほとんど動かずに。
気ままな猫にとっては難事であったことだろうと今でも思う。
●犬のムサシとも仲が良かった。
ムサシが老いて動けなくなったときは一緒に寝たことがある。
それまでは一緒に寝たことはなかったのにである。
その二日後にムサシはなくなったが、そのことをコジローは気がついていた。
そう信じてやまない。
●不思議とコジローの最期が思い出せない。
おそらくは猫にしては長寿で大往生したはずである。
少なくとも娘猫たちよりは長生きしたはずである。
生きている間の思い出はここに記した以上に多くあるが、最期の思い出がない。
これこそ名猫と言えるのではなかろうか。
●当時、飼っていた犬がムサシであったことより命名。
●元は隣家に生まれた猫で4匹の兄弟がいた。
私はその中でも一番不細工な猫を選んだ。近所にいた不細工な猫が父親であるにちがいないし、その不細工な父親猫と思われる猫に愛嬌を感じていたのである。
もっとも、彼は成猫すると、飼い主のひいき目があるとはいえ、かなりの男前の猫となるのだが。
●彼は屋内で飼っていた猫であるが、その冒険心からか、外に脱出することがしばしばあった。
あるとき、近所の外国産の猫と喧嘩をしていたことがある。一方的に負け、悲しいかなフンをもらした。
私の父から笑われ(母はそれをたしなめた)、しばらく外に出ることもなくなり、やっぱり外が恐ろしいのかなどと思っていたが、ある日、突然外へ脱走した。
おそらくだが、あの外国産の猫と戦うためであったのだろう。彼は外国産の猫と戦い、我が家の庭から追い出すことに成功した。
猫がどのような鍛錬の方法を持っているかは、寡聞にして知らないが、おそらくはたゆまぬ努力をしていたにちがいない。
●彼は私たちが拾ってきた茶色と白の雌猫と結婚した。ちなみに拾ってきた理由はコジローに似ていたからである。
彼の妻の名前はトモエとなったが、ここではコジローを中心に語ろう。
●トモエが母の部屋で4匹の子猫を生んだ時に気をつけたのはコジローの母の部屋への侵入であった。
もしも、子猫に危害を加えたら困るからである。何か漫画でそのような事例を読んだのである。
しかし、猫の行動というのは制限できない。子育てに飽きたトモエが外に出るタイミングとコジローが部屋へ侵入しようとしていたタイミングがあってしまったのだ。
コジローが最初にした行動は娘たちを(そう、書き忘れていたが、すべて雌であった)なめてあげることだった。彼には育児の才能があったのである。
乳が出ないことに困っているように見えたが、それ以外はうまく長いしっぽを利用したり、くわえて適当なところ(猫にとっておそらくあるのだろう)に連れていったりして子育てをしていた。
母猫のトモエは乳をあげる以外、子育てをしていないのではないかと思うくらい、ほとんどの育児は彼が行っていた。実に献身的な父猫ぶりであった。
●親子のつながりと、コジローの名猫っぷりを示すエピソードがある。
かなり後になってのことだが、引っ越しをした日のことだ。
猫を逃げられないように一部屋(奇しくも幼き日を過ごした私の母の部屋である)に娘の猫たち全員を閉じ込めていた。
機動力の高いコジローはどんな手を使って脱出するかはわからないので、ペットキャリーに入れて私たちの監視下に置かれていた。
しかしながら、娘の猫たちはたくさんの他人の気配や荷物を動かす音に怯え鳴き続けていた。
そこでコジローを娘の猫たちのいる母の部屋へ入れてみることにした。
さすがコジロー、立派な父猫であった。娘らは彼の周囲に集まり、安心してくつろぎ始めたのである。
泣き続けて疲れたのか、寝始める娘猫もいた。
泰然自若としたコジローに感動しつつ、「偉いぞ、コジロー」と言って抱き上げると、彼はかすかに震えていた。
娘の前では落ち着いていた彼も他人が家の中を歩き回る状況は怖かったのだ。
私は見栄の張り方を彼から習ったと思う。これは過言ではない。
●彼は付き合いの良い猫であった。
私が昼寝したときに彼の手を握っていたのだが、3時間ほどたっても、その手を振り払っていなかった。
一緒に寝ていてくれたのだ。しかも、ほとんど動かずに。
気ままな猫にとっては難事であったことだろうと今でも思う。
●犬のムサシとも仲が良かった。
ムサシが老いて動けなくなったときは一緒に寝たことがある。
それまでは一緒に寝たことはなかったのにである。
その二日後にムサシはなくなったが、そのことをコジローは気がついていた。
そう信じてやまない。
●不思議とコジローの最期が思い出せない。
おそらくは猫にしては長寿で大往生したはずである。
少なくとも娘猫たちよりは長生きしたはずである。
生きている間の思い出はここに記した以上に多くあるが、最期の思い出がない。
これこそ名猫と言えるのではなかろうか。
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