●岩波書店ブックレットの『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(※良著! 必読!)の98頁に「禁煙ファシズム」という単語が出てくる。その「ネタ帳」とされているのはロバート・プロクター『健康帝国ナチス』であるという 指摘がされている。
●本当だろうか。
●ここで前提として言っておくが、同著105頁にあるが「現在の反タバコ運動と一緒くたにして『禁煙ファシズム』などと呼んでしまえばナチ健康政策につきまとう残虐性を相対化するだろう」という視点は忘れてはいけない。
●一方、Wikipediaレベルの知識で語ってしまうが、以下の項目を見てほしい。
●ここに「1980年代末ごろから團伊玖磨、筒井康隆、山田風太郎らなどが嫌煙権運動をファシズムになぞらえて発言した。1999年(平成11年)に斎藤貴男は「禁煙ファシズムの狂気」で過剰防衛的な社会のあり方と批判し、2005年(平成17年)に同論文を小谷野敦・斎藤貴男・栗原裕一郎共著『禁煙ファシズムと戦う』に収載した。山崎正和、養老孟司、蓮實重彦、宮崎哲弥、小松美彦らも同様な意見を表している。」とある。
●なかなかの知性のある(個別に好き嫌いはあるだろうが)面々の名が並んでいる。「1980年代末ごろから」とあるので、初期の論は2003年翻訳の『健康帝国ナチス』と無関係の可能性が高くないか。
●私が『健康帝国ナチス』以前に「禁煙ファシズム」という概念を知っていたのは、筒井康隆氏のエッセイで読んだ記憶があったからである。
●「ファシズム」という単語をどういう意図で使っているのは、各人によって違う可能性が高い。ナチスの健康政策と関連させて述べている方もいれば、「原理主義」の意で用いる人、「比喩的」に用いている方もいらっしゃるようだ。当然、『健康帝国ナチス』という書籍と結び付けている論者もいるだろう。
●で、だ。
●卑怯なことに私は「可能性が高い」「ようだ」「だろう」などという及び腰な表現で終えた文を羅列した。
●ここで提案だが、誰か「禁煙ファシズム」についてまとめてみたらいかがだろうか。夏期の課題やら「探究」の課題としてなかなかのレベルになると思うのである。
●日本での歴史的展開について述べていくのも面白いだろうし、なぜ安易に「ファシズム」という単語が用いられるのかなど、人によっていろいろな論点が見つけられると思うのである。
●まあ、他力本願なのは、単に自分で調べるのが面倒というか、知的活動に打ち込める病状ではないだけなんだが。
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