国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

中高生のための内田樹(さま)その6

2018-09-07 11:16:20 | 中高生のための内田樹(さま)
以下の文章を読んでみよう。設問はないけど問題意識を持って読んでください。
それと私の疑問点もあります。教えていただければ幸いです。


  私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。
 子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。むしろ、子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人参と鞭」戦略を無批判に採用している。
 であれば、子供たちにとって級友たちは潜在的には「敵」です。同学齢集団の中での相対的な優劣が、成績評価でも、進学でも、就職でも、すべての競争にかかわってくるわけですから。
 だから、子供たちが学校において、級友たちの成熟や能力の開花を阻害するようにふるまうのは実はきわめて合理的なことなのです。
 周囲の子供たちが無能であり、無気力であり、学習意欲もない状態であることは、相対的な優劣を競う限り、自分にとっては「よいこと」だからです。
 そのために、いまの子供たちはさまざまな工夫を凝らしています。「いじめ」もそこから導き出された当然の事態です。
 「いじめ」は個人の邪悪さや暴力性だけに起因するのではありません。それも大きな原因ですが、それ以上に、「いじめることはよいことだ」というイデオロギーがすでに学校に入り込んでいるから起きているのです。
 生産性の低い個人に「無能」の烙印を押して、排除すること。そのように冷遇されることは「自己責任だ」というのは、現在の日本の組織の雇用においてはすでに常態です。
 「生産性の低いもの、採算のとれない部門のもの」はそれにふさわしい「処罰」を受けるべきだということを政治家もビジネスマンも公言している。
 そういう社会環境の中で、「いじめ」は発生し、増殖しています。


 






※ 生徒らにかなりインパクトを与えた文章。この文章は読んでおいて損はない。常識を疑わせる現代文の好例。


※ 現代文の評論文において「暴力」とは本人の意思と無関係に働く力である。暴力が出現する背景には社会の持つイデオロギーがある。

イデオロギー
1 政治・道徳・宗教・哲学・芸術などにおける、歴史的、社会的立場に制約された考え方。観念形態。
2 一般に、思想傾向。特に、政治・社会思想。


※ アクティブラーニングでいじめは減るんでしょうか。「お互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつ」ことにつながるんでしょうか。つながりそうな予感はあるのですが。
現場の先生・生徒らはいかがお思いになっていらっしゃるのでしょうか。
私が知りたいことです。


全文はこちらになります。





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