次の文章を読んで後の問いに答えなさい。
人間は運がいいときには「先手を取り」、運が悪くなると「後手に回る」というものではない。「後手に回る」人間は必ず後手に回る。それは一つの器質なのである。というのは、まず「問い」があり、次にそれに対して適切な「答え」をするという先後の枠組みでものごとをとらえる習慣そのものが「後手に回る」ことだからである。
私たちは子どもの頃から「後手に回る」訓練をずっとされ続けている。「教師の出した問いに正解する」という学校教育の基本スキームそのものが実は「後手に回る」ことを制度的に子どもたちに強いているものだからである。教師の出す問いに正解すれば報酬があり、誤答すると処罰されるという形式で状況に処することに慣れ切った子どもたちは、そのようにして「構造的に後手に回る人間」への自己形成する。それは会社に入った後も変わらない。仕事というのは、すべて上司から「課題」や「タスク」を出された後に、それに適切な「回答」をなすという形式でなされ、上司によってその成否を査定されるものだと信じているサラリーマンたちは全員が「後手に回る」人である。
なぜ日本社会ではこれほど念入りに「後手に回る」訓練を国民に強いるのか? 難しい話ではない。権力者に頤使されることに心理的抵抗を感じない人材を育成するためである。「問いと答え」というスキームにすっぽり収まって生きていると、「問いを出す上位者」と「答えを求められる下位者」の間で非【 A 】的な権力関係が日々再生産されているということに気づかない。でも、そうなのである。
問い 空欄【 A 】の中に入るのに適当な語句を選びなさい。
ア 対象 イ 対称 ウ 対照 エ 対症 オ 対償
答え イ
ア 対象(目標、相手、オブジェクト)
イ 対称(釣り合う、シンメトリー)
ウ 対照(照らし合わせる、コントラスト)
エ 対症(症状に対処すること)
オ 対償(「対価」に同じ。「対価(他人に財産・労力などを提供した報酬として受け取る財産上の利益)」
全文はこちら→『後手に回る政治』
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