国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

中高生のための内田樹(さま)その45

2021-02-10 20:35:43 | 中高生のための内田樹(さま)

食における創造とは何か。
食文化とは「不可食のものを可食化するための創意工夫」と「みたことのない食材を何とか料理してしまうための創意工夫」によって構築されたものであり、その根本にあるのは「食えるものは何でも食う」という不退転の決意である。
それは人類史の99%が「飢餓ベース」であったことを考えれば当然のことである。
トマトがイタリアに入ってきたのは大航海時代のことである。
メキシコから持ち帰ったのである。最初は食用ではなく、観賞用であった。しかし、きわめて生命力が強く、果実が多いので、これを食用にしようとイタリア人が200年にわたって品種改良の結果、こんにちのトマトとなったのである。
だから、ヨーロッパでトマトが食用として受容されたのは18世紀のことなのである。
ジャガイモがユカタン半島からスペインに渡来したのは16世紀。唐辛子はコロンブスが新大陸から1493年に持ち帰った。
前に北イタリアで「スローフード」運動というものがあった。
マクドナルドの出店に反対して、イタリアの伝統的な食文化を守れという運動であった。
しかし、外来の食物を排除して、伝統的なレシピを守れという場合の「伝統」はどこまで遡るのか。
もし中世まで遡るのだとしたら、この「スローフード」のレシピにはトマトもジャガイモも唐辛子も使用してはならないことになるが、それでよろしいのか。
その場合は、「じゃあ、『伝統』は18世紀までにします」とか「19世紀まで」とか決めることになるが、その恣意的決定の根拠となるのは要するに「現代人が喰って美味いものが『伝統』と認定され、喰って不味いものは『伝統』から排除される」ということである。



問い 本文で最後の一文が省略されているが、次の中から最も適当な一文を選びなさい。


ア 夫子ご自身が伝統伝統と主張するのは勝手だが、中世にはないものだと思っていても無駄ではあるまい。
イ 夫子ご自身が美味しいものだけを食べていくことを拒否してスローフードにこだわるのは実に納得のいくものである。
ウ ファーストフードもやがて伝統料理と言えるのだから夫子諸君も覚悟しておいた方が良いともいえるだろう。
エ 自分ひとりで「うまいまずい」を言い募るのは夫子ご自身のご勝手だが、それを「伝統の味」とか大仰に呼ぶのは止めた方がいい。
オ 夫子諸君は食べるものがない飢餓状態から食の文化を築き上げた先人たちのことを忘れて「伝統」と簡単に言うべきではない







答え エ

直前が根拠なので易しい問題だよ。「現代人が喰って美味いものが『伝統』と認定され、喰って不味いものは『伝統』から排除される」ことを批判的(スローフードを批判的にしていることからわかるね)に捉えた選択肢を選ぶ。
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