ガイドブックに載らない、大型バスで行けない、そんな面白い場所はたくさんある。ナポリから北西方向、ちょっとした山へいたる丘にあるこの教会はまさにそんなところ。
しばらく前まで見学にはわざわざカギを開けてもらわなくてはならなかった。今日も09:30から開いているという情報で行ったのだが、来意を告げてはじめてカギを持った人が出てきてくれた。
もともとここにはディアナに捧げる神殿があったとされており、現在の建物も柱や床は元神殿の材料が生き残っている。特にこの写真の白い長方形のテラッツァ(破片)敷き詰めた床は、なんと、古代の神殿からのものなのだそうだ。そういえば、ポンペイ遺跡で見かけるものと同じである。
※この教会についてはまた別のところに書きます。
**11時カセルタ王宮前到着。晴れてきたのですぐに庭のバスに乗車する。
まっすぐ一直線に流れ降りてくる噴水が見事。18世紀の水道の開通式の時、あまりに水路が長くて水が出るまで時間がかかって設計者のバンビテッリが不安になったという話しが残っている。これがその水道管から水が流れ出してくるところ往復バスを使っても約五十分の庭園見学。ただ奥まで行って帰ってきただけなのですがね(笑)
内部を見学して驚いたのは「豪華さ」ではない。この時代の宮殿というのはだいたいヴェルサイユを意識しているもので、予想はついていた。驚かされたのは、そこに飾られた現代アート。
まさかナポリでもこういう傾向が浸透してきているとは・・・これってどうなんでしょう?キース・ヘリングはきらいじゃないけど、この宮殿にキース・へリングを見たくて来る人は、ほぼ、いない。
※以前、ヴェルサイユでもジェフ・クーンズの展覧会に出会って仰天した経験がある。
これですhttp://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2515278/3314345
ヴェルサイユでは2010年に村上隆も展覧会をやっている。http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2754326/6162970
★また、後にスペイン王となるカルロス3世の肖像は、スペインでゴヤが描いたものとはまったくちがった顔をしていた。写真のない時代の人物の印象を決めたのが肖像画だったのですね、やはり。
**カセルタ王宮から少しいくと古代の大都市カプアがある。巨大な円形闘技場遺跡が不釣合いな小さな町となっているが、そこここに面影は残っている
カセルタの語源はカサ・イルタ=高い町。そのとおり古いカセルタの町が山の上に残されている。そのカセルタ・ヴェッキアへ車で登っていく行く途中には古代から現代までたくさんの採石場が目についた。
頂上の駐車場から旧市街へ入るこういう路地、大好きです。鐘楼が見えてきて中心の小さな広場に出る。ロマネスクの美しいファサードを持った大聖堂今は、昼休みで閉まっている。
そろそろ一時半になったので元々修道院だったというレストランへ入る。カプレーゼ、ポルチーニのフェテチーネと茄子と燻製チーズのオレッキエッティ。
15時にレストランを出ると、16時まで閉まっているはずのの教会の扉が開いている。今日の結婚式のために飾りを始めているのである。ラッキー!中に入れる。
ロマネスクの美しい身廊。アプスの上の天井が開いていて光が入ってきている。アッシジで見た古い教会と同じ構造を持っているように見えた。
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17時少し前、ナポリの旧市街へ戻る。今日はナポリの守護聖人ジェンナーロの日。大聖堂に保管された聖人の血液が溶ける奇跡が起こるとされる。是非、どんな様子なのか見てみたかった。
旧市街のスパッカ・ナポリの通りは車を締め出して出店も出ている。日本のお祭りのように家族連れやカップルがそぞろ歩いている。人並みに流されて歩き、大聖堂前に着いたときに突然すごい驟雨にみまわれた。
聖堂内も人は多かったが、午前中のミサの時よりは人も少なくなっているということだ。厳粛すぎることはなく、静かすぎるわけでもなく、和やかな雰囲気が満ちている。
「溶けましたか?」同行していたナポリ人のガイドさんが教会の人に訊ねる。「ええ、今日はミサの始まる前にもう溶け始めていましたよ」と言われて、「ああ、よかった、これが今日ちゃんと溶けないとナポリに悪いことが起こるのよ」と、ほっとした顔をした。
主祭壇にむかって長い行列ができている。聖人の血を一目間近に拝みたいという人々銀の入れ物に入った「それ」を赤い服の聖職者が人々に見せている
この中がどうなっているのか?誰もが見たい写真をスクリーンで見せてくれている。なるほど、溶解しております。
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暗くなってまた雨が降ってきたので、ホテルの最上階にある海を見晴らすレストランで夕食とした。いかと白いんげんの太目パスタ、そしてこの塩で固めて焼いた魚、「魚喰い人種」の日本人にもおいしく食べられる品でした。