早朝の便でソルトレイクシティからダラスへ。ダラスから成田へのアメリカン航空へ乗る予定であった。
12:40発のアメリカン航空、三十分ほど遅れると表示されたが、その時間になっても搭乗は開始されない。さらに三十分遅れる表示になって説明のアナウンスがあった。「油圧系統の機材を点検しております」
14:00「グッドニュースです。交換用の機械がきましたので、取り付け完了し次第搭乗をはじめます。なお、この飛行機は乗務員の労働時間の法的制限により15:30までしか待つことができません。」と放送がはいり、15時少し前にいよいよ搭乗がはじまった。
ようやく座席に座り、ほっとしてうつらうつらしはじめた頃、機内放送がはいった。「このまま出発すると労働時間が違法になる為、この飛行機はキャンセルになりました」え~?そんなんだったら、はじめから搭乗させなきゃいいのに、と思うが航空会社としては本気で出すつもりだったのに叶わなかったのだろう。時計を見ると15:40である。
ファーストクラス、ビジネスクラスの乗客がまず降機し、後ろのほうの座席だった小松が降りたころにはアメリカン航空のカウンターは長蛇の列になっていた。ひとりひとりが自分たちの行先にあわせて振替てもらっている。ひとり十五分ではきかない。これはかなり時間がかかりそうだ。
幸いなことに我々8人の中に二名のビジネスクラスの方があり、その手続きが優先して行われるカウンターにも並んでいただいた。結局そちらのカウンターの方が早く順番が回ってきたのだが、それでも手続きが終わったのは17時近く。振替便は明日の同じ時間のアメリカン航空。
ホテルは空港近くのラマダホテルを手配してくれた←※この写真のヴァウチャーを発券。パキスタン人出身だというアメリカン航空の係員は、二十年ほど前は日本人ツアー扱う英語ガイドをしていたのだという。今でもかけらほどだが日本語の単語が口から出てくる。係員がそんなプライベートライフを話してくれるようになれば、振替えて続きもうまく行ったという事。
「それじゃ、これはホテル用、これは夕食用、これは朝食用、これは明日の飛行機の手続き用」と、たくさんのヴァウチャーを渡してくれるのだが、これがすべて飛行機の搭乗券と同じ紙に別項目を印刷しただけのもの。小さい文字に目を凝らさなければまちがえてしまいそうだ、気をつけなくては。
時間は18時をまわっていたので、発行されたそのヴァウチャーを使い、空港のレストランで夕食をとった。 ターミナル内の「COD RIVER」、なかなか良いお店でした、覚えておきます。
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食べ終わり、ターンテーブルエリアで荷物を受け取り、ラマダホテルへ電話する。と、しばらく待たせた後、早口の女性が出てこういった「ああ、キャンセルフライトからの方ね、こちらはもう部屋はありません。もう一度アメリカン航空に話してください」
え?さっきの人はホテルを予約してくれたんじゃなかったの?!
「事前に電話してね」と言っていたのは、暗にこういう状況を示唆していたのか?
いずれにしても無い部屋は出せない。荷物エリアのアメリカン航空スタッフに事情を話しても「わしら、そんなん知らんけん、上の階へいってくんな」という呈でとりつくしまものない。
食事も終わって「あとはホテルでゆっくり」と思っていた皆さんに、再び荷物をころがしてもらてチェックイン階まで誘導。チケッティングカウンターへむかう。
この時、カウンターには数人いたのだが、対応してくれた女性がとても有能だったのは今日いちばんの幸いであった。
彼女は我々の状況を把握すると、すぐに別のホテルへ電話して空き状況を確認し、我々の名前と部屋割りまで伝えるとシャトルバスに迎えにくる指示までしてくれた。
「じゃ、ここからターミナル外のD40番へ行って、××か○○と表示された車がくるはずだから声かけて」とメモ書きを渡してくれた。
一歩ターミナルの外へ出ると、テキサスの暑い空気が体を包む。指示通りのD40には他にもホテル行きを待つ人々がいる。数台の車を見送った後、言われた表示の車がやってきた。「8人ね?」と浅黒い顔の運転手がにやっと笑うと前歯が欠けている。「日本人の重たい荷物が当たって折れたんだ、でもいいんだよ、チップくれるから」とおねだりの軽口をたたきながらスーツケースをつんでくれた。
車が建物の外へ走り出すと、テキサスの広い夕暮れの空。地平線近くに赤い月がきれいに出ていた。「昔、赤い月は悪いことの前触れだってきいていたのを思い出す」なんて声が聞こえたけれど、いやいや、こうして無事全員同じ宿にとまれるのだから吉兆なのでありましょう。
フロントグラス下には「チップは運転手の大事な収入源です」と書かれたプラスチックのボードが置かれている。はいはい、ご心配なく、そのぐらい面倒みますとも(笑)