旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

スパッカ・ナポリはおもちゃ箱

2011-09-20 17:34:36 | イタリア

よく晴れた朝、ホテル最上階の朝食テラスから卵城とヨットハーバー。遠景にカプリ島も見えている

午前中はポンペイ遺跡を見学浴場の床に使われていた白いテラッツァは、きのう見学したサンタンジェロ・イン・フォルミス教会の床と同じである

スタンダードなポンペイ見学コースに加えて、今日は少し離れた「秘儀荘」まで行く。ここはエルコラーノ門の外・つまりポンペイ市街の外側に位置しており、ポンペイ本体遺跡よりずっと遅れて二十世紀初頭に発見された。その為、フレスコ画の保存状態も他よりずっと良い。

発見当時、その一室に描かれている主題が「ディオニソスの秘儀」であると推察されて、この名前で呼ばれるようになったのだが、今回お願いしたガイドさんの説明によると、必ずしもそう断定できないそうだ。

アテネ郊外のエレウシスで行われていたカルト宗教の儀式がこれら「秘儀」の原型とされるのだが、この場所はそんな秘儀を行うにはあからさまな場所に見える。「秘儀」をこのような人々が公然と出入りしていた明るい別荘のような場所に描くことは不自然ではないだろうか?※この建物はエルコラノ門の外と言っても、(当時)景色の良い高台にあって、フレスコの描かれている部屋はそのダイニングルームのような快適な解放された空間であるようだ。

またガイドブックでなされる図像の解釈についても、「秘儀」のストーリーを無理につくってしまっているのではないだろうか?なぜなら同じような作例は他の遺跡では全く見つかっていないのだから。これが正面にあたる場所にある図像⇒

中央にいる女性にもたれかかっているは、明らかにディオニソス。顔の部分が欠けているが女性はアリアドネということになろう。むしろこの二人の婚礼が主題ではないか?と、言う説。あながち間違いではないかもしれませぬ。

**

気持のよい朝のポンペイだった。秘儀荘のある門から出たところにあるレストランで軽く昼食。「親戚のところで作っているトマトだよ」と小ぶりだがトマトらしい味のするトマト。それにごろんと大きなモッツァレッラはやはり本場であります。

***午後、ナポリの旧市街スパッカ・ナポリを再び歩く。かつて神殿のあったカポナポリ(ナポリの頭)から坂を下って、古代ローマの東西の貫通道路デクマヌスだった通りを歩くことにする。

現存するナポリ最古のロマネスクの鐘楼。基部に頑丈な古代の石材をふんだんに使用し、その上にレンガを積み上げた。この写真の左側には起源を六世紀にさかのぼるとされるサンタ・マリア・マジョーレ教会があるが、この本堂のほうはロマネスクの雰囲気を全くとどめていない。

★このトリブナーリ通りには、かつての豪商や貴族の館が立ち並び、18・19世紀のナポリの隆盛を感じさせてくれる。通りがかりにはっと気になって足を向けた館は中庭がとても優雅な円形につくられていた⇒今は分割して売却され、集合住宅になってしまっているが、中庭の入り口に簡単な解説があった。それによるとこの「スピネッリ・ダ・ラウリーノ館」は1767年にトラヤノ・スピネッリ八世によって現在の形に拡張された。

彼はナポリのイエズス会学校で学び、そこで建築に強く興味を持ち、自らの屋敷のデザインにもその趣味を反映。パラーディオからこの中庭の雰囲気を、内部への階段にはナポリの建築家サンフェリーチェに影響を受けているそうな。内部、非公開ですが、見たかったです。

★この通りが出来立てのお屋敷街だった頃には、電灯・ガス灯は当然無く、松明(たいまつ)を使っていた。別の屋敷の入り口にあったこの魚のようなライオンのような門柱は、その松明を消すためのものである。

★サン・ロレンツォ・マジォーレ教会の横の通りはプレセビオ(クリスマスに飾るキリスト降誕の様子の人形たち)を売る店が立ち並んでいる。

こういう店では地元の人々もクリスマスの飾りを買っていくので、こういう美女をはべらせるベルルスコーニや土下座ベルルスコーニがちょっとうけたりするのか(笑)売れるのでしょうか?

★ナポリ版ビンゴというべきトンボラを売る店。

★サンタ・キアラ修道院はマヨルカ焼きで飾られた中庭が特徴的

内部が簡素な空間になっているのは戦争で爆撃された事による

簡素な中でひとつだけバロック装飾豊かな礼拝堂がある。そこはナポリ王カルロスが三十歳で早世した長男フィリップを悼んで造らせたものだった。その後、ナポリのブルボン家で早世した子供たちはここへ葬られることになった。

★近くにある新イエズス教会は、もともと一般貴族の屋敷だったので入り口はあまり教会らしくない。

内部はよくあるバロック調だったが、ある礼拝堂の手だけがぴかぴかに光っている銅像が目に留まった。見ているとその礼拝堂で祈っている人達は、最後に立ち上がってその銅像の伸ばした右手と握手している。

ガイドさんが「聖人になったモスカーティというお医者さんですよ」と、教えてくれた。1880年生まれで、第一世界大戦の時代に力を尽くした人物であった。

この教会のもっとも謎に満ちているものは、ファサードのとげとげのひとつひとつに刻まれた記号である(ちょっと見にくいですが)。それが何を表しているのか?最近「音楽を表している」という仮説も発表されたそうだが、実際、謎である。

****夜、ホテル近くで夕食へ。19時半に入った時にはほかに誰も居なかったこの店は、出てきた21時過ぎには外で待っている人がある程にぎわっていた。南欧は実に夕食が遅いとあらためて感じる。

コメント
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