旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

トラステベレ地区とドムス・ロマネをめぐるローマの一日

2011-09-22 12:31:56 | イタリア

**ローマ滞在中日。旧知のガイドさんと午前中トラステベレ地区を散策。

★サンタ・マリア・デル・オルト教会はローマの日本人カトリック信者の集う場所となっていて、その中の祭壇のひとつに中浦ジュリアンの肖像画が描かれていた。

天正少年使節団の少年たちはローマに到着した時にひどく疲れていて、グレゴリウス13世法王は一日休養の為に船を用意してこの教会の近くからテベレ川でオスティアまで観光に出かけたのだそうだ。

帰国後、苦難の道をたどった四人の中で、最後まで日本に残りそして殉教した中浦ジュリアンは2007年に現法王ベネディクト16世によって副者に叙階され、それを記念してこの絵が描かれオルト教会に奉納されたのである。

トラステベレ地区でもうひとつ★サンタ・チェチリア教会を訪れる。三世紀にここで殉教した聖女チェチリアを奉っている。その遺体は9世紀にカタコンベから発見され、かつての殉教地に教会が建てられた。

正面祭壇、一番下に、チェチリアが発見された姿を大理石で納めてある。首を半分切られて苦しんで死んだとされていたが、その傷跡がはっきり確認できたとか。実際にそれを見たというステファノ・マデルノが17世紀初はじめに刻んだ。

教会はバロック様式に改築されているが、主祭壇後ろのモザイクは9世紀のもの。並んだ聖人の一番左に四角い後光をいただくパスカリス法王が描かれている。すばらしい大理石の説教台は1293年にアルノルフォ・ディ・カンビオが制作。

一度建物を出て、隣の入り口のベルを押す。中から応対の声があり扉が開けられた。階段を上がっていくと、いましがた下から見上げていたファサードの裏側の二階部分へでた。そこには12世紀に描かれた巨大なフレスコ画が残されていた。「最後の審判」の一部で、いかにもジョット風だと思ったら、ジョットよりも15歳ほど年上のピエトロ・カヴァッリという人の作であるという。へぇ、ジョットよりも前にこれだけの作品を描いた人がいたのか。

この教会の様子は下記のサイトが詳しいです。http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/7106/cecilia1.html

★ファブリチオ橋を渡り、古代からの病院の島ティベリーナ島へ入る。この島にある聖バルトロメオ教会には二十世紀の殉教者たちの遺品が集められている。それは西暦二千年を機に、前法王ヨハネ・パウロ二世がそうすることを望まれたからだという。

各礼拝堂は、ナチズムや共産主義、あるいは南米やアフリカというぐあいに地域や時代ごとに殉教した人々の残した品々が飾られている。殉教というのは過去のことでは全くないのである。

カンポ・ディオーリで休憩した後、ヴェネチア広場すぐ近くにある★ドムス・ロマネを見学。

ここはローマ県の役所ヴァレンティーノ宮殿の地下に位置しており、昨年新しく公開されたばかりである。予約制で約一時間の見学コース。一回に15人しか予約できない。その少人数なればこそ、CGも駆使して古代の家々の様子をよく理解させてくれる、すばらしい施設である。是非、次回の《手造の旅》で紹介してみたい場所である。※内部撮影禁止につき、下記のサイトご覧ください。http://www.provincia.roma.it/news/domus-romane-lesposizione-permanente-degli-scavi-palazzo-valentini

***遅い午後

パンテオンの後ろ姿

宿泊したホテルの屋上カフェからの眺め。中心部のホテルならでわ。こういうところでしばらく座っていた時間が、後からいちばん記憶にのこっていたりするものであります。

***夕食はかつてポンペイウス劇場があった上に位置しているレストラン。

常連の日本人ガイドさんにおすすめいただいたイワシ。これは日本料理として出てきても充分通用する味。

あいかわらずきのことエビが好きですいません

コメント
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