旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アメリカ人捕虜の刻んだ国旗

2011-10-04 13:48:36 | イギリス

午前中エジンバラ観光、午後ハドリアヌスの城壁を少しだけ見学し、19時過ぎに湖水地方ウィンダメ湖畔のホテルへチェックイン。

**エジンバラ城には1757年から1814年まで戦争捕虜を収容した場所があるという事をはじめて知った。その木製の扉には収監されていた捕虜が残したいろいろな言葉や絵がある。その中にこんな星条旗を刻んだものが見つかった。明らかに船が星条旗を掲げている。

何ゆえ、ここにアメリカ人捕虜が?18世紀の後半というのは、そう、アメリカの独立戦争の時期になる。学校では「1776年にアメリカ独立宣言」というところしか教えられないが、実際の独立に至るまでの戦争は実はここからはじまったと言ってよい。

アメリカの独立を支援するフランス軍(イギリス領西インド諸島を狙う)、スペイン軍(イギリス領ジブラルタルの奪還を狙う)からの捕虜も多数収監されていたが、おもしろいのはそれぞれに待遇が違ったということ。

戦争捕虜は通常の犯罪者とは違うので、収容所(英語ではPRISONだが「監獄」とは待遇が全くちがう)内では一定の権利が認められていた。つまり、衣服と一日に六ペンスの金が支給され、本国からの援助を受けることもできる。フランス人は六ペンス+本国からの追加一ペンスをうけとっていたのだそうだ。入手できる材料をつかって物を作り売ることもできる(なんと、偽札までつくっていた人がいたそうな)。

アメリカ人捕虜はしかし、そのなかでも「反抗的」ということで待遇を悪くされていたのだそうだ。まだ、「アメリカ」という国が本当に続いていく事ができるのか、分からない時期だったのだから、彼らは「反逆者」だという見方のほうが多かったにちがいない。「反逆者」はフランスやスペインという大国の捕虜とは待遇がちがって当然ということなのだろう。

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カールトン・ヒルから見たエジンバラ。左遠方からエジンバラ城、バルモラルホテルの時計塔、18世紀の道徳家スチュワート氏の記念塔。

昼食はスコットランド名物「ハギス」(写真右)。これは内臓料理だがスパイスを効かせてあるので気にならない。このぐらいの少量なら日本人にも「おいしいね」と言ってもらえる。

エジンバラから二時間ほどで国境のグレトナ。そこからイングランド領カーライル近くに、ローマ五賢帝のひとりハドリアヌスが築かせた城壁がある。周囲には羊用の石の塀がたくさんあるので、なんだか紛らわしいけれど、よく見ると石の積み方は全く違う。紀元後二世紀には高さ六メートルもあったそうである。

 

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