個人的にはストックホルムでいちばん見てほしい博物館。1628年に沈没した巨大戦艦を引き上げて展示してある↓
1950年代に場所が特定され、30メートルの海底からゆっくりゆっくりひきあげられ、様々な処置をほどこした後1990年にやっとこの博物館に公開された。
その圧倒的な迫力↓
↑いちばん下に写っている人の大きさと比べてみてほしい。
全長69メートル、高さ52.5メートル
ずらりと並べられた砲門 全部で64もの大砲を装備していた↓
↓船体全体の高さはパリの凱旋門にも匹敵する↓
17世紀前半はヨーロッパは宗教戦争の真っ最中。スウェーデンも新教側の一国として参戦し、南ドイツまで進軍していった時代。
グスタフ・アドルフ二世王はスウェーデン史の中でも指折りの好戦的な王様。
彼が命じて建造させた巨大戦艦がこのヴァーサ号である。
ところがこの船、完成して処女航海に出発したその日・ストックホルム湾を出る前に横風をうけて大きく傾き、砲門から浸水して沈没してしまったのである!
その時の予想図がこれ↓
あれあれ。
確かに頭でっかちで安定が悪く見える。
目の前にそびえる船体を見てもそう↓
我々のようなど素人が見てもそうおもうのだから、当時この船をつくっていた職人たちはとっくに気づいていただろう。
幾多の船を見て・乗っていたベテランたちが、この船の不安定さに気付かないはずはない。
記録を読んでいると、処女航海の前日に甲板長がこんな実験をしていた。
乗組員三十人を甲板のいちばん端に集め、いっきに逆の端まで走っていかせたのだ。
「三回往復した所で中止しなければならなかった。そうしなければ船は横倒しになっていただろう」
※現地で売られていたガイド本より
まわりの多くの者たちが危惧していたのである。
それなのになぜ、誰にも沈没を止められなかったのか?
建造を正しくすることができなかったのか?
理由は
誰もがグスタフ・アドルフ二世王を怖れていたからにちがいない。
独裁者に諫言するのは、今も昔も、洋の東西を問わず命がけだ。
王が「これでよし」と認可した船の建造を止める者はついに現れず、
この悲劇に至ってしまった。
処女航海の日=沈没の日、王はドイツに居た。
責任者を見つけようとする裁判では多くの「被疑者」があがったが、肝心の設計者は完成前に死亡していた。
**
ひきあげられたとき、副キャプテンの持っていたものと思われる金の指輪がみつかっている↓
貴重な大砲だけは、17世紀の後半にほとんどすべてが海中から引き揚げられた↓
本体は333年間海底に眠っていたが、幸いバルト海の薄い塩分濃度に助けられ、ほとんど損傷せずに、こうして現代までその姿を伝えているのである。
1950年代に場所が特定され、30メートルの海底からゆっくりゆっくりひきあげられ、様々な処置をほどこした後1990年にやっとこの博物館に公開された。
その圧倒的な迫力↓
↑いちばん下に写っている人の大きさと比べてみてほしい。
全長69メートル、高さ52.5メートル
ずらりと並べられた砲門 全部で64もの大砲を装備していた↓
↓船体全体の高さはパリの凱旋門にも匹敵する↓
17世紀前半はヨーロッパは宗教戦争の真っ最中。スウェーデンも新教側の一国として参戦し、南ドイツまで進軍していった時代。
グスタフ・アドルフ二世王はスウェーデン史の中でも指折りの好戦的な王様。
彼が命じて建造させた巨大戦艦がこのヴァーサ号である。
ところがこの船、完成して処女航海に出発したその日・ストックホルム湾を出る前に横風をうけて大きく傾き、砲門から浸水して沈没してしまったのである!
その時の予想図がこれ↓
あれあれ。
確かに頭でっかちで安定が悪く見える。
目の前にそびえる船体を見てもそう↓
我々のようなど素人が見てもそうおもうのだから、当時この船をつくっていた職人たちはとっくに気づいていただろう。
幾多の船を見て・乗っていたベテランたちが、この船の不安定さに気付かないはずはない。
記録を読んでいると、処女航海の前日に甲板長がこんな実験をしていた。
乗組員三十人を甲板のいちばん端に集め、いっきに逆の端まで走っていかせたのだ。
「三回往復した所で中止しなければならなかった。そうしなければ船は横倒しになっていただろう」
※現地で売られていたガイド本より
まわりの多くの者たちが危惧していたのである。
それなのになぜ、誰にも沈没を止められなかったのか?
建造を正しくすることができなかったのか?
理由は
誰もがグスタフ・アドルフ二世王を怖れていたからにちがいない。
独裁者に諫言するのは、今も昔も、洋の東西を問わず命がけだ。
王が「これでよし」と認可した船の建造を止める者はついに現れず、
この悲劇に至ってしまった。
処女航海の日=沈没の日、王はドイツに居た。
責任者を見つけようとする裁判では多くの「被疑者」があがったが、肝心の設計者は完成前に死亡していた。
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ひきあげられたとき、副キャプテンの持っていたものと思われる金の指輪がみつかっている↓
貴重な大砲だけは、17世紀の後半にほとんどすべてが海中から引き揚げられた↓
本体は333年間海底に眠っていたが、幸いバルト海の薄い塩分濃度に助けられ、ほとんど損傷せずに、こうして現代までその姿を伝えているのである。